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第13号『始まりは原理原則への論議』

戦後以来、続いてきた経済成長により、「豊かさ」とはなにか、入るお金が、多くなることはどういうことなのか、また、手に入れた豊かな富により、どんな生活を実現すればいいのか、という生きるために大切な原理原則をしっかり論議しないままに今日を迎えてしまった、という反省が、私たちにはあります。
私たちの年代では、まずは「飢えない」生活への憧れがあり、その次に過剰な労働から解放される「便利」な生活、その見本が「アメリカンライフウェイ」であったと思います。そしてマーケティングは、まさに、マズローのいうところのステップを人々に実現させるべく心血?を注いできた。そして私たちも生活を・安全→差別化→自己実現→名誉などと段階的に欲求をレベルアップさせてきたというわけです。 成長はいつまでも右肩上がり、資源、環境は無限と信じてもいました。
「一億すべて中流」という言葉があったように、富の分配はあたかもすべてに「平等」であるかのような幻想に包まれてもいましたね。これはいまも根っことして人々の心に残っている筈です。
そして、いまや、目出度いはずの新春を迎えても、生活のあらゆる部分で閉塞感に覆われ、展望が見出せないでいます。これは私たちすべてが、「成長があればすべてものごとは上手くいく」と信じてきた、そして原理原則的論議を避けてきた「つけ」ではないか、と思いませんか。
かつて、冬季オリンピックだと思いましたが、スピードスケート競技かで優勝したある北欧の女性選手が記念の高級時計を貰った際に、「私には時計をする腕はひとつあり、それで十分。二本はいりません。この時計は貧しい人のために使います。」とインタビュワーに応えていたことをふと思い出しました。古い言葉ですが、「足るを知る」知性ともいえ、深く心に留まっていたからです。
「貧困の克服」は世界の課題です。「贅沢は敵だ」、逆に「贅沢は素敵」だという表面的な論議、…もちろんコミュニケーションを面白くする大切さは前提…・としてではなく、ほどほどの豊かさが在るうちに、いま、「真の豊かさ」について原理原則の論議を始める時期にきているのではないでしょうか?価値観の変化は、わずか10年間くらいで転換することは歴史が教えるところです。時代を看るに、その動きは、人々との願いとは逆の方向に加速している気がしています。それだけに本質的論議が交わされる時間がどれほど残されているかわかりませんが、私たちマーケティングを営みとする者は、「豊かさ」とはなにか?という、いままでのマーケターの心性としては、やや苦手な、問わずに、そっとして行きたい、この「クライ」問題を直視しなくてはならないのでは。「いやだねったら、やだね」ではきっと済まない時代を迎えているのではないか、と思います。

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