第1086号『絶滅美味』

先週、旧友本橋松二の写真展へ行った。場所はかつて四谷第四小学校校舎をリユースしたスペース。今回の展示は、舞踏家森下こうえん氏を題材にしたものである。その帰り、久しぶりに四谷三丁目に来たのだから、「八竹(はちく)」で大阪鮓のアラカルトを買って帰ることにした。電話予約をとも思ったが、大丈夫だろうと店に向かった。近づくとシャッターが降りている。あれっ、今日は休みか。と思い、さらに近づくと、閉店の張り紙が貼られている。

【閉店のお知らせ】

四谷八竹は、令和7年3月31日をもちまして閉店いたしました。長い間ご愛顧いただきありがとうございました。姉妹店、売店もございません。大変申し訳ございません。

驚いた。前回八竹に立ち寄ったのは、義母の墓参りで3月23日四谷東長寺に来た時。その時はお店に間もなく閉店といった張り紙もなければ、閉店を匂わせるような雰囲気も感じなかった。その僅か一週間後に、店を閉じたということになる。あぁ、これでもう八竹の大阪鮓を味わうことができないのか。

僕がはじめて訪れたのは高校2年の夏、東京に住む叔母に連れられて来たのが最初だった。むっとした夏の午後、少し甘酢の効いた茶巾ずしと冷茶が美味しかった。してみれば、あれから50年以上の月日が過ぎたことになる。

因みに、大阪鮓とは主に箱鮓のこと。19世紀初頭に江戸で握り寿司が誕生するまでは、熟鮓とともに大阪起源で上方の箱鮓が寿司としては主流だった。鯛や海老などの豪華な素材を使った箱鮓は、吉野寿司が起源だとする説もあるが、もともと全国に押し寿司があり、箱鮓のはじまりには諸説ある様だ。また最近では、本場の大阪でも職人の数が激減しているとのこと。

さて、八竹では箱鮓の他に、茶巾鮓や黄身鮓なども取り扱っていた。黄身鮓は、玉子の黄身を使った甘やかで艶のある餡を、少し酢のきいたコハダ・アジ・サバにのったりとかかっているものをいう。これがまた、美味い。

こうして、思いおこしていると無性に食べたくなった。でも、姉妹店も売店もない。絶滅美味、もう二度と味わうことはできないのだ。こんな大切な店を失うということは、僕たちファンが不甲斐ないからだ。なぜ、毎週、いや、せめて毎月でも買いに行かなかったのか。本当に残念でならない。八竹の創業は1924年、大正13年。101年の歴史の幕が下りた。

後日談だが、廃業の理由として、地球環境の変化や戦争などによる諸材料の高騰はもちろんのこと、職人の高齢化、とくに穴子を扱う職人が居なくなったことも痛手だったとのこと。どうしたら、僕たちの食文化を守ることができるのか・・・。どうすることも出来ないもどかしさを覚えた。

【付録】

ファンサイト有限会社の取締役、川村大輔のブログです。2011年に入社し、メインプレーヤーとして頑張ってきました。これから更に主軸として活動していくとの思いも込め、仕事の取り組みを中心に、隔週でブログを配信します。ご高覧いただければ幸甚です。

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大輔の七転八倒

第113回 「根拠と共有の価値」

こんにちは。ファンサイト有限会社 取締役の川村大輔です。先日、ある方から突然のご連絡がありました。ちょうど10年ほど前に取材の関係からお会いした大迫ちあきさん。

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