分けることは解かることでもある。
時計修理工の父から教えられたことの1つである。
分解する→錆や汚れを払う→原因を調べる→部品を交換する→再度組み立てる。
その時、時計という小宇宙のなかで父は司祭者となる。
中世ヨーロッパの城塞都市は森にぽっかりと築かれた。
そして城砦に囲まれたその街の中心に教会が建てられた。
教会の鐘楼が聞こえる範囲が秩序あるコスモスの世界、その外にある鬱蒼とした森が無秩序な悪魔の世界、カオスである。
だから「指輪物語」も「ドラクエ」も怪獣はすべてカオスの世界である森にいる。
神の力を借り、無秩序な悪魔サタンの闇世界を神の秩序ある光の世界に変えていく、いわば宗教戦争の手段として事物の解明が執り行われた。
存在するものすべに理由があり、人間が進歩し努力すればあらゆる事物は解明できる。
森や山、海を、そこにある植物や動物をそして人間を、社会を経済をつぎつぎと分析し解明し体系化した。
そうしてすべてのもが分節化され、神の秩序のもとに再統合される。
科学はこうした中世キリスト教の概念が生んだものである。
知の体系としての大学が神学から始まったのはそうした理由でもある。
(世界最古の大学は北イタリアのボローニア大学で、もともとは僧侶の子弟教育を目標としていた。)
東京電力の原子力発電所損傷隠蔽がつぎつぎに明るみにだされている。
石油資源のない日本にあって、枯渇しないエネルギーとして科学の粋を集めた原子力が魔法の杖となるといまも云われ続けている。
しかし、その魔法が解けると、なんときらびやかな馬車はひび割れたかぼちゃであり、馬だと思っていたのがじつは獰猛な怪獣だったという笑えない事実が転がっていた。
父がぽつりと話してくれた。
アナログ時計が減り多くがデジタル時計に変わった、しかしそれは時代の流れ、いたしかたないことだ。
ただ問題なのはデジタル時計は分解修理ができない。
壊れたときはムーブメントをまるごと取り替えるしかない。と
ぼくたちは分解修理することもできず、まるごと取り替えるすべもない原子力という怪獣をコスモスの内側に飼ってしまった。