2011年の震災まで福島 富岡町にお住まいだった坂本建さん。
震災後の原発事故で、家族を連れて着のみ着のまま神奈川へ避難後、家が強制避難区域に指定され、その後彼と同じように避難をしてきた人達を支援する「避難支援ネットワークかながわ(Hsink)」という団体を作り活動しながら、福島原発かながわ訴訟の原告団としても活動をしています。
私らが主催したイベントにも協力してくれ、何度もここで紹介していますが、そのひたむきな正義感を応援していたのですが、先日友人から「建さんがハンスト(絶食による抗議)をはじめている」と聞き、大変驚きました。
事情を聞くと、福島県から避難している人達、自主避難者と強制避難者の仮設住宅への補助が、28年3月末に打ち切られる政策が国と県の間で取り決められつつあり、それに対する見直しを求めて県庁に陳情を続けながらハンガーストライキに入っている、という知らせでした。
要求の内容は「県による提案が今月中に出される前に住民に対する公聴会を開いてほしい」というもの。
県は全国に散らばった避難者に対してろくな勧告もせず、なかば一方的にそれを決定、進めようとしていることの説明を求める、という至極当たり前の要求です。
しかし、時間がないことを危惧した彼は矢も盾もたまらず「多くの人にこの事実を知ってもらうにはこれしかない」と思い、それを決断したのです。
県庁前に横断幕を立て、日々県庁の職員に対しての陳情を繰り返し、水と塩だけで座り込み、夜は車中で眠る。
そんなことを聞き、私と妻で6日の夜、すでにハンストは6日目に突入した彼に会いに福島に行ってきました。
私はこの現状をFacebookで拡散し、彼にツイキャスでインタビューを行いました。
彼は頬はこけ、疲労度は目に見えて分かるものでしたが、気力充実し「とにかくここで公聴会は開催することまではしっかりと勝ち取る」と言っていました。
そして今日は9日目に突入しています。
今のところ、福島県も神奈川県も「意見は受け取ったが、公聴会を開く予定はない」の一点張り。
彼は体重が1日1キロ落ちるという状況のなか、多くの人から心配の声を受けてさすがに医者に行くと言っていました。
家族や周囲の人の心労を考えると彼のやり方は決して承認だけできるものではありません。
しかし、なぜ彼がそこまでのことを決意したのか、それを考えたときに、彼の頭には身よりもなく家を奪われ、そしてまた追い出されようとしているお年寄りの姿が浮かんでいるのだと、インタビューをして感じました。
みなさんにお願いです。
お知り合いの議員、官僚、避難者、メディアの方々にこの事実を広めてください。
このやり方ををよしとしないと理解しながら悲壮な覚悟で、ハンストに望む彼を応援してください。
状況はHsinkのFacebookページで逐一報告していきます。
彼がやろうとしていることの意味を今一度、一人でも多くの人が知り、声をあげてもらうことで避難者の状況をしってもらいたい。
彼は「なんでこんなことになってしまったのか」と苦笑しながら言っていました。
この意味を多くの人と考えなければいけない、そう思っています。
ご協力をお願いします。