日本サッカーの中心としてずーっと日本チームを引っ張ってきた中田英寿選手が、突然の引退を表明しました。
彼の引退表明に関しては、聞く限り本当にいろいろな意見があります。
ある人は「彼らしくていいのではないか」またある人は「彼はサポーターに対して裏切った」など様々な意見が飛び交う中、サッカーに関しては全くといっていいほどの素人である私は「彼自身の思うところは彼にしか分からない。むしろそのことよりも、その真意が分からず多くの人が彼についていろいろなことを考えたり議論したりすること、これこそが彼が一流であることの証明だ」というような結論に達しました。
私が彼の引退について考えたことは、彼自身が自分の半ば作り上げられたキャラクターを、自分の本当の姿と照らし合わせ、どこまで「ギャップ」を感じているか、そのギャップをどう受け止めているかということです。
自分が普段求めている「客観的にこう見てほしい」理想像と、実際に他人から「客観的に見られている」自分の像との間には間違いなく「ギャップ」が存在するわけであり、そのギャップを自身がどう感じるかによって自分の意識も変わってくるのではないか、ということです。
もし、そのギャップを「お、そういう見方もあったのか!」と受け入れ、それをさらに新たな自分の魅力として取り込んでしまうのか、それとも「え!なんでそんなふうに見えるの?本当はこういう風に見られるべき(見られたい)のに!」と驚きそれを受け入れずに頑なに自分のスタイルを固めるか。
どちらがいい悪いは別として、私自身はその「ギャップ」を楽しめるような人間になりたいなあ、と思ったわけです。
「人は今まで以上の存在にはなれない」とは、代表の川村から聞いたことですが、少なくとも自分の中にあるものをいろいろと作用させ、様々な「ギャップ」をもっている人間は、私にとって魅力的だと感じるからです。
一流とよばれる人たちは必ずといっていいほど、作り上げられたキャラクターと本当の自分のギャップに苦悩してきているのではないかな。
ただそこには彼らの意識に対して必ず何らかの作用が働いているわけであり、それを受け入れることができれば、もっといろんな局面においてタフで魅力的な自分を作り上げることができるのではないか、と思うのです。
私自身も先日誕生日を迎え、40も見えてきたこの頃、いろんなところで自分の年齢に関しても考えることが多くなってきています。
自分が自分的にどうあるべきか、社会的にどうあるべきか、また実際はどう写っているのか。
そんなことを少し頭の隅で考えつつ、それでも常に他者の期待をいい意味で裏切る、そんな「ギャップ」を持った魅力的な年のとり方をしたいなあ、と考えています。
そのためには今までの自分を常に進化させていく必要があるだろうし、それがモチベーションとなり、新たなことへの好奇心を生み出す原動力になれば、それはそれでアリなのではないのかな。
ある信頼できる友人から
「柳澤さんの仕事で書くブログは、スキがなく優等生すぎておもしろくない」
と、厳しくも本当に暖かい意見を頂いたことがあります。
確かにここで書くことはある意味私の「良心」的な部分のみを書いてきたような気もするけれど(笑)。
もちろん私の内面にはまだまだ無数の「ギャップ」がある訳で、これからはそんなギャップも皆さんに時々見て頂きながら、これからお付き合い頂ければと思っています。
「顔も濃い、キャラも濃い、いうこともイチイチアツイ!でも会ってみたら案外サラリとして、凛としているじゃないの。。」
本格的な夏を迎えるまでにまずはそんなところからマスターしてみようかな、と思う熱帯夜の夜です。