第19回 ノブレス・オブリージュ

060707

皆さん、こんにちは。そして改めて、初めまして。

ファンサイトのトップページが今日付けでリニューアルしました。

今まで代表の川村がまさに彼のバイタリティや人望でやってきた「川村商店」が、組織体「ファンサイト」として皆様に新しい一面をお見せする記念日ともいうべき今日7月7日、私は奇しくも38回目の誕生日を迎えました。

38年。

全てに感謝。ここまで生きてこれたことに。生かされてきたことに。

子供のとき、すごくオジサンだと思ってた。そしてもしかすると事実しかるべきオジサンでなければならない年かもしれない。

それなのに自分はどうだろう。。いや~困った(笑)。

ま、今まで私のブログを読んできてくれた方は私を少しでも知ってくれていると思うので、多くは語らないことにします。

そして、今日初めて私を知ってくれた方には、これまた多くを語らずボチボチ、末永くお付き合いして頂いて、私がどんな男か暖かく見守って頂ければと思います。

実は38回目のこの日が偶然金曜日で「 The Value of Life 」の配信日だと知っていたので、記念すべきこの日に何を書くべきか少し前から考えていました。

いくつかアイデアは頭にあったのですが、やっぱりこれにしようと決めました。

「ノブレス・オブリージュ  nobless oblidge」

最初に聞いたのはいつだったろう。何かの本で読んだのです。直感的にキレイでカッコイイ言葉だな、と思いました。

意味は「高い身分に伴う精神的義務」というフランス語だそうです。それを聞いてまた感激した。もとはフランスのことわざから発し、欧米社会における基本的な道徳観とされているらしい。

しかも私はあえてこの訳を勝手に異訳して捉えています。高くあるべきは「身分」ではなく、「自分自身」であり、それに伴う「精神的義務」は、自分自身に対するクオリティへのコダワリであると。

さらにこの言葉に対する思いを決定付けたのは、私が最も敬愛する偉人の一人、通称「風の男」「メトロのライオン」白洲次郎氏。

彼のことは既に私のブログで書かせて頂きましたが、彼の伝記を読んでいて、なんと彼がこの言葉を好んでよく使っていたらしいことを発見し、びっくりすると同時に非常に非常に嬉しく思いました。

不思議だったのは、元がフランスの貴族からきている言葉なのに、その底に流れるものは私が想像する「サムライスピリット」に存在する精神的な価値観と共通するニオイがすることです。

伝記曰く、氏と交わりをもったほとんどの人が言を一にして述べることは、彼が権力を傘に着て威張っている人間に対して、動物的ともいうべきむき出しの闘志をもって挑みかかる様子である、と述べています。愚直なまでに己の美学に生きたサムライにも同じようなものが流れていたのではないかな。

以前彼について書いたブログには、「彼の1000分の1でもいいから近づきたい」というようなことを書いた記憶があります。

しかし、それもおこがましいくらいに今の私は未熟であるのは私がイチバン分かっている。

でも。

しかし!

やっぱり。

それは私のテーマとして、私なりに「ノブレス・オブリージュ」の意味を追求し。実現してみたい。何をか、どのようにか、はまだ漠然としてはいるけれど。

これを今日、38になった私の言葉として残したいと思います。でも「宣言」は重すぎる。私にはまだその準備はできていません。宣言できたらどんなにいいだろうか、とは思うのですが、それはそれで年相応に自分のことも少しは理解しているつもりです。これは、私一人では絶対にできない。いろいろな人たちに支えられ、励まされることで近づけるテーマだと心から思うのです。

彼の自伝を読み返すと、その言葉「ノーブレス・オブリージュ」に関して、「一般的なことからして言えば、どんなに生まれ育ちがよい人間でも、日本人がnoblesse obligeなどといいながら、一種の使命感をもった素振りをされたら、何ともキザで歯の浮くような印象を与えるだろう」と書いています。

確かにそうでしょう(笑)。全くもってそうだろうと思う。

でも。

・・・・・そこは「誕生日」だということでお許しください(笑)。

皆さん、今までありがとう。頑張りますよ!そして、これからも宜しくお願いします!

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