第17回 「ムチノチ」

高校時代の親友と会いました。

 地元の中学から一人だった私と一番最初に友人になってくれた彼は、二年前に前職の上司や同僚と独立し起業、最初の商品としてアメリカからリボンマグネット http://www.msdsgroup.com/ を日本で初めて輸入、大きな反響を巻き起こし突っ走っている、そんな男です。

 彼の見つけたリボンマグネットは、いうなれば 「 初心者マーク 」 のおしゃれ版。アメリカで当初イラク戦争に行った家族が無事に帰還する願いをこめて作られたものだとか。
 他にはニューオリンズを破壊したタイフーン 「 カトリーナ 」 救済、エイズ撲滅キャンペーンなどのいろいろなバージョンがあり、社会的メッセージが組み込まれているのが特徴。その売上げから多くのNPOを通じて寄付をする仕組みになっているそうです。

 思い切りバカもやり、互いの恋愛話をしながらも時には政治について、社会について、仕事について熱く互いの持論を語ってきた友人が、ビジネスのみならず社会的な貢献活動を自分のミッションとして語りながら、こんなエピソードを話してくれたのです。

 それは11年前神戸を襲った 「 阪神・淡路大震災 」 遺族の方々などのために、神戸市民であり著名な俳優の堀内正美さんhttp://www.horiuchimasami.com/ (ゼッタイ皆さんご存知の大ベテランの方です) が発起人となって精力的に活動している神戸のNPO法人 「 HANDS 」との関わりの中でのことでした。

 11年前のその日1月17日、当時11歳だった加藤はるかさんがご両親と姉のいつかさんを残して一人だけ亡くなった。その全壊した家の跡地に、はるかさんが世話をしていたインコの餌の 「 ひまわりの種 」 がいつの間にか大きく育ち、花を咲かせた。その種をご家族、堀内さん始め多くの方々が震災を乗り越えるために各所で分け合って植える 「 はるかのひまわり 」 という活動が始まり、それが11年経った今になって友人が扱うリボンマグネット 「 はるかのひまわり 」 バージョンを作ろうという企画として、本当に不思議な縁で彼の元に舞い込んだということなのでした。http://117kibou.cocolog-nifty.com/blog/2006/06/post_a40f.html

他人事とは思えませんでした。亡くなった 「 はるか 」 ちゃんという名前が、奇しくも私の姪っ子妹と同じこと。2人の姉妹で、亡くなった年齢は姪っ子の姉と同じ11歳。 災害によって一瞬にして全てが崩壊し、それを近年になって乗り越えるようになるまでの間、表現しようのない厳しい現実に巻き込まれてしまったご家族。その奇妙な符号の一致は、まるで他人事ではない、いつでも私達の身に起こりえる 「 可能性を秘めている現実 」 なのだ、という思いが強く私の胸を締め付けたのです。普段何気なく過ごしているこの生活がいかに幸せなことなのか。 みんなでワイワイ囲む食卓がいかに幸せなことなのか。 子供の無邪気な笑い声が響く生活がいかに幸せなことなのか。 いかに感謝すべきことなのか。

 この話を聞いて私は 「 無知の知 」 という言葉が頭に浮かびました。 「 自分が知らないこと、知ったつもりで知らないこと がたくさんあることを知っている 」 という意味の言葉ですが、この話を初めて聞いた私は、自分がいかに多くの 「 知るべきこと 」 があるのかと強く感じたのです。

 それに気付いたとき、ラッキーにもこのようにして何かを知らせる手段を持っている私は、少しでもそんな思いを皆さんにここで知らせたいと思ったのです。こんなエピソードもたくさんあることを知らなかった私と同じような誰かが 「 無知の知 」 について考える機会を持ってくれたらうれしいなと。 とってもえらそうで申し訳ないのだけど。

 いろんなことを知ったつもりでいながら、実は世の中にそれこそたっくさんの 「 知るべきこと 」 があるのだと気付かせてくれた友人に感謝 & リスペクトです。そして今なお頑張る神戸をはじめ多くのいろいろな人たちに対して少しでも力になれるような生き方をしていきたいなあと思ったのでした。

「 頑張る 」 という言葉はときに重いけど、この場合やっぱり 「 頑張る 」 が一番ぴったりくるかな、そんな感じ。私も皆さんも。頑張ってほしい。頑張ろう。

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