先日、「ついに」リリー・フランキー氏の「東京タワー」、読みました。
彼のことは、テレビのバラエティに出ていて、「何だか面白いコメントを絶妙に話す人」、「業界受けする人」くらいの知識。
「東京タワー」に関しても、あまりに至るところで「泣けた」というコメントばかりが目に付いて、「時代にもてはやされたちょっと味のある人が書いた、お涙頂戴路線かな」
くらいの、やけに意地悪な見方をしていました。
そんなある日、他に買うものもなく、何の気なしに本を買って読んでみました。そして、衝撃を受けました。
・・・・不覚ながら泣けた。しかもかなり(笑)。
この本は、作者の狙いとか、出版社の企画とか、そういう次元の話ではなく、彼の愛した母親~オカンについて、まさしく魂で書き上げた「鎮魂歌 レクイエム」でした。
本の内容は、興味のある方に買って読んで頂ければと思うので、ここでは詳しく触れませんが、彼の本を読んで、家族の大切さ、幸せってなんだろう、ということに関して、深く感じることができたのです。
家族って素晴らしいものだ 。
そんな当たり前のことが、どれだけ幸せかということを、この本を読んで感じることができて、彼に感謝の念を持ちました。
そしてそんなふうに感じることができた自分のことも「お、結構いいとこあんな」と見直すことができ、これもまた感謝感謝。
・・・時間は有限です。
命あるもの、一つとして無限のものはなく、いつかはお別れをしなければならず。
そして、それが全ての摂理であり、誰一人として逃れることができない必然なんですよね。自分でそういいながら、分かっているような、いないような。いや、多分、分かってない。
私自身は、誰かに対して何ら誇れるものもなく、まだ未完全。心配ばかりかけて、いやな思いもたくさんさせてきた。おいおい、オマエはいくつだ?って声も聞こえてますよ(笑)。
でも、これからちょっとでも挽回できるか?、という微かな希望をもつことができるのも、両親揃って何とか健在、そしてそれをサポートする兄や、仲のよい親戚、いとこたち つまり、家族、familia ファミリア がいるから。
家族って素晴らしいものだな。
何を考え込むこともなく、素直に自然に感じています。
もし、自分のご両親と離れて暮らしている方がいたら、ちょっと大げさに、ご両親に対して「ありがとう」って表現してみてはどうだろう。 どれだけうれしいか、とか、ちょっと照れくさい、なんてことはさておき。それを普段していない人ほど、後からお互いの胸の中に、ジワジワ、またはズシリと残るはず。
いつかは誰もが必ず訪れる別れの日を迎え、どんなに親孝行してたって後悔するのだ、とリリー氏はその本の中で語っています。その通りだと思うわけで。
私が取りあえず人並みに生きてこれたのも、家族のおかげ。
実に34年以上、ひたすら働き、家族の為に戦い、稼ぎ続けてきた。私の年では、すでに3人のドラ息子を抱え、突っ走ってた。
このブログを毎回プリントアウトし、皆さんが書き込むコメントに対して感激し、また時には私のこのブログ~作品を、プロの目で厳しく批評する父。
私を含め、3人のドラ息子を「人間」にする為に、ひたすら、それこそひたすら食事を作り続け、洗濯をし、掃除をして。祖母も最後まで世話をしながらの掛け持ち。
70を過ぎて、自分の青春時代を取り戻さんばかりに、ピアノの練習に没頭し、「エリーゼの為に」が出来てきた、と嬉しそうに語る母。
二人とも青春時代を戦争で奪われ、大人になってからは自分の贅沢など殆どせず、必死になって子供達の為に全てをささげ、孫もでき、ようやく本当にささやかな幸せを大事に大事に生きている、私にとって大事な、二人の人。
そこまでしてもらう資格が、果たして私にあるか。
私に子供がいたのなら、果たしてそんなことができるか。
正直、未だ半端者の私にとって「イエス」はどうしても出てきません。
でも自分の小ささ、未熟さを痛感しながらも、この状況で結果を出す、と静かに「蒼い炎」を燃やしている私です。
リリーさん、ありがとうございます。いつかはお会いしてこのブログを読んでもらいたいなあ(笑)。
そして、愛すべき家族の方々、ありがとうございます。薄っぺらいコトバで足りないけれど、精一杯頑張るよ。まだ元気でいてください。