第346回 虹の橋

先日川村社長がご友人について書かれていましたが、奇しくも私にも先日、人のいのちについて考えさせられたことがありました。

母の女学校時代のお友達Nさんが先日入院してあっという間に亡くなりました。
私もおぼろげながら子供時代にお会いしたことを覚えており、たまたま予定がなかったので母を連れて車で千葉のお葬式に参加しました。

故人の弟さんと息子さん、娘さんご夫婦と私ら二人の静かな葬儀。
子供時代から大変な苦労をされながら働き続け、立派に二人のお子さんを成人させた彼女は、大変穏やかな顔をして眠られているようでした。
母は少し泣きながら、故人の顔や髪を撫でながら何度も「ありがとう」と言っていました。

今年になってガンが見つかったときには既にかなり進んでいたが、直前までご飯の支度をしていたくらいに元気で、娘さんは「あまりに急だったけど、それでも苦しまなかっただけよかった。」とおっしゃっていました。

式が終わり、出棺から納骨にも同行しました。
花に包まれた真っ白な棺は、1時間ほどして、不思議な白のかけらとなって出てきました。
私も一緒にお骨を納めさせていただきました。

納骨に立ち会ったのは、既に20年ほど前に実家の愛犬ミミの葬儀以来。
大変に厳かな時間でした。

前日までは寒くて雨が降っていたのに、その日は穏やかで気持ちのよい晴れ。
渋滞も一切なく到着した千葉の斎場は緑の多い奇麗な場所で、新緑の気配がしていました。
古くからの友を見送る儀式に神様がお膳立てをしてくれたのだと思いました。

あのかけらの白は、私らの日常生活ではどこにもない色で、とても印象に残っています。
私は、人との死別は、しばらくの離別でしかなく、今生で繋がりの深かった魂は、来世でも必ず会えると、自然に信じているのです。

「虹の橋」という言葉を聞いたことがあります。
この世で生を終えた動物たちは、天国の手前にある虹の橋で親しくした人を待ち、そしてその人が来たときに一緒にその橋を超えていく、という古いネイティブアメリカンの言い伝えです。

私は人間も同じだと思います。
天国に行くまでに本当に親しい人たちが来るのを皆待っているんだと。

時間の感覚がない向こう側では、待つことになんの苦労もない。
それよりもまた来世で繋がれる喜びを胸に、これから行く人を待っている、そんなイメージです。

私もそんなことを改めて感じさせてくれたNさんへ感謝しています。
まずはおつかれさまでした。しばらくの間、安らかにお休みください。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です