光陰矢の如しとも、ドッグイヤーとも、言い方はどうであれ、いずれもあっという間に年の瀬。
2004年になるともはや「21世紀」という前振りは陳腐となる、と思っていたところに出会ったのが、「21世紀全史」と言うノンフィクション。
気が早いと言うべきか、始まったばかりの21世紀を22世紀から回顧しようと言う機知に富んだ本で、科学技術の発展や景気の変動、さらに新しい世界秩序までが細部にわたり論じられています。
で、そこで気になるのが日本の先行きです。
もちろん私自身はもはやあの世から確認するしかないのですが、どうも日本の21世紀でのポジションは明るいものではないらしい。
「高齢化、少子化、政治指導者たちの理想や勇気の欠如、崩壊寸前の金融システムなどのさまざまな問題」により徐々に衰退に向かい、また「誇っていた自動車産業やAV市場も中国に奪われ21世紀末には生活水準も国内総生産も韓国より下回りアジアのリーダーとしての地歩を失う」と言うなんとも悲しい見通しです。
このような暗い予測は、「自虐的な歴史観を未来にも投影するのか」とお叱りを頂くかも知れません。
しかし、本書の著者たちの指摘する衰退の原因についてはある程度、頷かざるをえない点も多くあります。
例えば今回の選挙です。
まともに考えるならば「指導者たちの理念の欠如や勇気のなさ」をこれほど明確に語っている現象はないでしょう。
また投票率の低さで表される人々の関心の薄さもそれに拍車を掛けていると思います。
「パンとサーカス」を宛うだけの政治はいまや破局に向かっています。
これは企業経営でも同様だと思います。
国境が人材流出の障壁になっていた時代でさえもそうでしたがネットワークの時代では人材はやりがいのある機会を求めて魅力的な市場へとますます流出します。
「意味を語れない」組織は国であれ、企業であれ人々を引き留め続けることは不可能です。
本書では回顧する21世紀について「21世紀の発展を支えたのは人々の心でありビジョンだった」としています。
多寡が未来予測のお楽しみ本ですが、「歴史」の国ならではのエンターティメント。
こうした壮大かつ現実味のあるストーリーは行雲流水と過去を忘れやすい日本では生まれにくいものかも知れません。
でも一億成り行き任せって怖いかも・・・。