▼マジメは罪?!
コーカサスレース?
コーカサスレースというゲーム、ご存じですか?
この言葉、「不思議な国のアリス」に出てくる奇妙な競争の名称。
ドドーという伝説の鳥により提案されるレースです。
アリスが流した涙の海に漂い、ずぶ濡れになった動物たちが、身体を乾かすために砂浜で行なうレースですが、それはドドーが引いたコースに沿って走り回る競争で、競技者はヨーイ・ドンの合図で走り回り、お仕舞いという声で、終了するレース。誰が勝ったのか、負けたのかさっぱり不明の競争です。動物の誰かが、そのことを問うと、ドドーは重々しく「みんなが勝ったのだ」と宣言します。勝ったのなら「ご褒美を頂戴!と参加者が言い出します。そこでドドーはアリスにご褒美を出すように要請し、アリスは、ポケットにあったお菓子を砕いてそれぞれに配ります。「でも、この人のご褒美はどうするの?」とまたみんなは騒ぎます。結果としてアリスは自分のもっていた指ぬきを賞品として貰うと言う話です。
熾烈な戦いに参加し、勝者も敗者もなく、その成果物もわずか、この話は、いまのビジネス競争によく似ています。ルイス・キャロルが生きた時代は、博物学が大流行の時代で、ドドーという鳥が、かつて存在していたことは一部では知られていたようですが、この鳥の知名度を上げたのはこのアリスの童話であったと言われています。
ドドーという鳥は巨大だけれど愚鈍の比喩にもなっています。
▼「違いが分らない」差別化競争
私たちマーケターは、日々市場や、競争状況を調べ、いかにライバルを出し抜くか?に血道を挙げています。マーケティング誕生以来、マーケティングの役割は、ポジショニング、差別化、変化、ブランデング、競争優位に貢献すること、かんたんにまとめれば、こう言うことか?と思います。にもかかわらず現状を見る限り、差別化どころか似たものの氾濫です。
今年の夏を振り返って見ましょう。
ビールは発泡酒も含めて製品は数多く登場しました。しかし、ビール市場は、暑さの割りにには、不振だったとか?自動車もエコカー減税の関係もあり、エコカーなるものが増えて、相対的にブランド力は相殺されて、どれも余り変わりがなくなった?
家電も地デジへの変更を打ち出していますが、どこの製品も同じ。ちょっとした話題は3D-TVだけ。地デジにしたらコンテンツの質はアップすると思いきや、どの局も低コスト製作のお手軽番組のオンパレードで、スイッチ・オフ。
いま繰り広げられつつあるスマートフォーン競争にしろどこがなにやら・・・?
タレントでもAKBやらOKBやら、さらにはNKBやらご当地女子が出て識別不能。果ては元おにゃん子とか?いやはやです。
私は爺だから、遅れているのかもしれませんが、おタクででもないかぎり違いなどさっぱりです。
あなたはどれだけ今夏の商品を識別できますか?
▼まじめに競争するほどに差別がなくなる
優秀なマーケターが居りながら、こうした現象はなぜ起きるのか?
こうした点、サントリーは上手だな、と思います。
ビールではプレミアムモルツ、ウイスキーでは「角」、最近はトリスの市場化への挑戦で、他社とはひと味違う戦略をとっていました。
市場のボリュームから見れば、おそらく大したことではないかも知れませんが、プレミアムでは「ちょっとした贅沢を」、「角」ではサラリーマンのハイボールで「軽い満足感」を、トリスでは、割ることを前提に、女性を含めた若者の気軽なパーティメディアとして、と提案性は明快です。
「市場が小さいから出来ることさ!」と言うやっかみも聞こえて来そうですが、しかし、それはあくまでの専門家の目線にしか過ぎません。
専門家と言いつつ差別化を追求し、結果として同質化競争競争というジレンマに陥っているのは、まさにコーカサスレース。一所懸命に頑張って走った結果、得られたモノはわずか!間抜けな話です。
いまは、情報社会であり、情報が溢れ、同時に伝達ツールも豊富になりましたが、それはそれで競争は多彩、混乱も増えただけでしょう。
いまさらに言うことでもありませんが、こうした同質化競争への脱皮のカギは「変化」を提供することです。
「変化」は、市場調査からは導き出せません。当然の話ですが、市場調査して使用者に不満や望むところを尋ねたところで、そこに新発見などある筈はありません。
なぜならほとんどの人は皆同じ方向に見るよう躾けられているからです。
▼「マーケティング・イマジネーション」が古くて新しい
人間は通常、変化を好みません。しかし一方、そうした変化しない慣習化した日常に退屈さらには厭きる存在でもあります。こうした矛盾した人間から答え引き出すのはマーケターの役割です。そのためには「マーケティング・イマジネーション」(T/レービット)が不可欠でしょう。
前述のトリスで言えば、CMキャラクターに、「懐かしの」アンクル・トリスが登場しています。懐かしのあの頃、トリスのCMは「人間らしくやりたいな」「トリスを飲んでハワイに行こう!」でした。当時の「人間らしく」は「暮らしにあくせくと追われるばかりではなく、たまにはハワイ(・・・当時は1ドル365円の時代、海外旅行など夢のまた夢)にいく夢でも持つて暮らそうという提案」でした。
WAY of AMERICAと言うモデルはあったにしろ、マーケターにはそれなりに夢を広げることが出来た「面白い」時代だったかもしれません。
同質化競争なか企業は、効率主義が態勢です。もちろん優秀な人材が「優秀な評価」を得るためには態勢の風を巧みに読むことです。これは別の見方をすれば自己主張をさけ、自分の考えは棚上げにする「人間らしい感性の放棄」でもあります。しかし、人間が住めない企業や社会によそと違うこと、いままでと違う発想をもつことは難しいでしょう。
人間不在の企業にとっては、人間は消費者=効率よくお金を生んでくれる都合の良い相手でしょうし、人間の幸せが願いではなく、本音は自社の幸せ、繁栄です。
もちろん企業は存続していかないと人間の営みである生活も滅んでしまいます。それが企業社会です。
が、そうは言っても、企業の生存のための暮らしよりビジネスが優先されるとしたら、これは本末転倒でしょう。
「 人間らしくやりたいな」
極論すれば、企業内に在り、人間の目線で見ることが出来るのは唯一のビジネスマンは、私たちマーケターと敢えて付記すれば経営者だけです。
そんな人間としてマーケターが競争行動を眺めたら、どこもかしこも同じじゃないか?としらけることでしょう。そして過熱する競争の愚かしさに気がつくはずです。
そこから一歩抜けるためにはどうすか?
それには先ずは競争の外に身を置くこと。そして競争参加者とは別のフィールドを発見しすることでしょう。
つまりは皆とは別の方向を探り、「人間らしくやる方途」としてイマジネーションを広げることで、それこそがマーケター本来の役割です。
こうした考えでは、出世は大きくは望めないかも知れませんが・・・・。
出世はとりあえず諦めて、まずは「人間らしく」。それは同時に束縛のない自由の世界に船出することでもあります。そしてとにもかくにも自分にとって「面白い」ことを求めていくことでしょう。
その結果は、変わり者、異端児の誹りを引き受ける宿命を持つこととなります。
でもこうした宿命を引き受けるのもお仕事?、元々マーケターとマーケティングは嫌われ者なのですから・・・。
世間様がいま待っているのは・人間に戻れる「面白い」こと!?・・・
「諸君、マジメばかりが能ではない、それは罪かも知れませんよ」です。