第157回『プロ・デザイナーの終わり?!』

 ある編集の仕事で草分け的な仕事を成し遂げ、いまも意欲的に生きておられる二人の女性に話を伺う機会を頂きました。
お一人は世界にも高名なデザイナー、もうお一人は作家。お二人の共通点は事業家でもある点ですが、それ以上に感じたのが、お二人に共に抱く不満です。その不満は現在の企業やデザイナーなど技術者のもつ志の乏しさを感じ取っておられることに由来していると思いました。

 志と言うと何やら天下国家などの公論を思い浮かべますが、そうではなく仕事を通じた自身の生き方やその仕事の取り組みへの覚悟ともいうべき事柄に対してでしょう。同時に「覚悟」をカタチにする顧客との対話や交流過程と提案力に対してです。
 ピアニスト:j・ピリスは、「芸術家であるよりは人間としての自然の有り様を大切にしたい」と述べていますが、空間・モノ・サービスなどのデザインにおいて、人々への幸福、快適についてあまりに商業的なオファーに与しすぎてはいないか?また、そうした内省的な思考や思いが余り感じられないことへの不満かも知れません。
 言ってみれば、誰のために仕事をしているのか、に対して自らに答えを持っていないこと、さらには、「仕事」トータルの佇まいが、命や環境、社会に優しいか?、また人間らしい未来を育めるか?などなど「いま」にどう対処し、取り組んでいこうとするのかを、「志」・・・彼女らはそうしたコトバは使われませんが・・・と考えているようです。
 
 最近、金融に軸足を置いた経営から、デザインに軸足を置く「クリエイティブ」経営が、世界のビジネスの潮流になりつつあるようです。
仄聞するに、欧米のビジネススクールや企業では「デザインシンキング(思考)」の出来る人材を探し、同時に育成していく取り組みが盛んとなってきたとのことです。つまりは「志」を抱いて世界を創っていける実務家が経営にとって必須となってきたのです。端的には「第二のS/ジョブス」をどのように育てるか?でしょう。しかしこれは言うはやすく、行うには難いのが現実のようです。
 
 とりわけ我が国ではなおさらでしょう。クリエイティブとか、デザインとか言うと、いまでもすぐ話題性のあるデザイナーを登用し、事たれりとするのが風潮です。しかし、ここで言われているのは、世の中の流れを掴む直感とそれにより得られる独自の大局観に基づいてニーズを見出し、それを製品・サービスに、さらには生活デザインやシステムに落とし込む能力ある人材のことです。

 こうした人材の発見、育成には、残念ながら従来の企業人は得手ではないし、また教育機関、とりわけデザイン学校では、まったく無関心事であったと思います。

 マーケティングでは、現在の苦境に対応して・カイゼンやイノベーションの論議が盛んですが、そのほとんどはいま降りかかる火の粉を払うのに汲々としているだけのような気がします。とりわけ「営業」の発言が強くなるほどに「価格」が論議のキーポイントになりがちです。そしてフォーディズムをベースとした思考がより支配的となってきています。
資本は低賃金の労働力を求めて世界を巡ってきましたが、それはもう限界のようです。
9:11が世界の政治の構図を書き換えたように、この金融危機は従来のマーケティングの発想の再考とデザイナーの役割の革新を促していると考えていい気がします。

 課題は、変わろうとしている時代を直感し、わかりやすく必要をカタチにして人間としての顧客にどう答え出していくか?そのためには生き方の覚悟が必要だと思うのです。
言われたことを効率よく、またスポンサーの満足のみに終始し限定的なスキルに依存する「プロ」デザイナーは、もはや時代遅れになってきたのではないか?でしょう。
 
 お話を伺った女性たちのコトバの端々にも、プロと称するデザイナーたちの提言に対し、違和感と苛立ちを覚えておられる印象を持ちました。

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