熱狂的な歓迎のなか、オバマ氏が大統領に就任しました。同時に、いま黒人社会では自身のルーツ探しが流行となり、ビジネス化しているそうです。文化への自信や誇りを持つことは、歴史と向き合うことでもあります。こうした歴史への眼差しは、シルクロードの諸国でも同様です。しかし、この地で実感するのは歴史を遡ることの難しさです。それは3つの困難に直面していると思います。
まずは、つねにゼロサムを繰り返してきた過激な歴史興亡にあって、どこにルーツを求めるか?ということ。第二は、近接した時代は、苦渋と屈辱の、いわば痛みに満ちたじぢでありそれと向き合うことには痛みを避けてとおれないこと、そして第三には、明日との関わりとで見据える視点が、いま大きく揺らいでいることでしょう。例えば常識であった進歩の概念である狩猟時代→農耕定住時代→封建時代→商業&工業資本主義という「進歩の歴史」自体がいま評価に晒されているからです。このことを実感するのは、日本国内に留まっている限りは、あまり感じませんが、このタシケントにくると肌身に感じます。と同時にTashkentale08のオーガナイザーのご苦労も偲ばれます。
今回のビエンナーレは大きくはウズベキスタンの首都タシケントと歴史都市のひとつであるブハラの2都市で開催されました。主催者の試みでは、タシケントでは1週間、ブハラではわずか1日のそれも夕刻から夜間にかけてのわずか数時間の開催で、前者は写真展、後者は、写真展を含みましたが、いわば時間を切り取った都市空間の中で試みるインスタレーションを指向した感じの展示会でした。
タシケントは近代都市空間での展覧会でしたが、ブハラでは2つのアプローチがインスタレーションにより試みられたと考えます。一つは歴史と不可分な風土を舞台としたことです。ちょっと説明しますと中央アジアのシルクロードの都市文化は沙漠に開いた文化です。砂偏の砂漠ではないことにご注意願います。SABAKUと言うとつい童謡「月の砂漠」を思い浮かべがちですが、ここは草木もあり、水もある、一種の瓦礫と土塊、低層の草木から成る荒れ地と言った方がよいので沙漠と言う水偏がついてるようです。展示はは干上がった貯水池と古いモスクの壁を舞台にして展開されました。
もう一つ近代と向き合った展示会です。それは亡命してきたユダヤ人の銀行家の邸宅をギャラリーとした会場での写真展です。これは煉瓦に囲まれた穴蔵のような空間で乏しい照明の中での開催で、ブハラの、タキバザールの石畳と荒れた外壁で囲われた迷路も取り込んだ写真展ですが、インスタレーション的な意味合いの強い演出でした。このブハラのインスタレーションはある意味で、「文化発信力」を指向するウズベキスタンの立ち位置を探る実験でもあった気がします。そしておそらく私たちの共通課題かもしれない「EAST&WEST」の投げかける難しさも実感しました。
1件のフィードバック
宇田さん、こんにちは。ご無沙汰致しております。長谷川です。
いつも、宇田さんの記事は拝読させて頂いています。
(まとめて、の時もございますが、、、)私にとっては非常に受け取る物の多い、貴重なものですので、お忙しいと思いますがどうぞ続けて下さい!
今月がお誕生日なんですね!おめでとうございます!
また、メールさせて頂きます。