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第107号『欠けた灯籠』

昨年の秋、仕事にかこつけて京都に赴きました。
一日予定を延ばし大徳寺の塔頭の一つである高桐院を訪れました。
菊日和。紅葉にはまだ早い時期でしたが、その日は利休忌に当たるとかで、高桐院ばかりでなく、大徳寺は利休に深い関わりがあるために京都3家の宗家によるお茶会が開催されるため、着物姿のご婦人たちで境内全体は色めいていました。

ご承知のように大徳寺は京都五山の一つでしたが、利休が秀吉の勘気にふれたために五山からランク落ちさせられたお寺です。
もちろんいまやお茶の心を継ぐ寺として、また禅味あふれる佇まいにより、TVの舞台やCMにもなったりする人気の観光名所です。

高桐院は、細川幽齊の寄進で誕生した塔頭です。
女優岩下志麻さんが挙式の場所に選んだことで記憶にある人も多いのではないでしょうか?
ここの紅葉は有名で、秋はもちろん若葉の頃の美しさも格別で、私自身何度となく訪れています。

そしてもうひとつここの売りは「欠けた灯籠」です。
京都の人にとっては常識のようですが、この灯籠は利休の所有でしたが、秀吉がそれに執心し、しつこく差し出すように要求した際に、利休はあえてこの灯籠の一部を欠き、この欠陥を理由に差し出すことを拒絶したとか。
この灯籠は茶人であり武将であった細川幽齊に渡され、ついには細川ガラシャの墓石となって、今に残っています。

お茶というのは現在においても日本人の心の支柱となっている文化であることはいうまでもありません。
そしてその神髄は、権威に屈しない覇気であることをこの欠けた灯籠は数百年の時代を超えて主張している気がします。
そう思いつつ大徳寺境内を歩くとなんとここには精神の自由を求めた中世人たちの、偏屈な、反骨な心が横溢していることでしょう?それが雅に、風雅に、幽美に、さらに俳諧に、そして人情へとつながる日本の美を創っていることも実感されます。

人に触れ「しあわせ」を届ける業の私たちです。
時代への順応も大切ですが、精神の自由を求めての反骨もまた同様に大切ではないか?、と苔むしたガラシャの墓石となった灯籠を眺めつつ思った次第です。

今年の初め、特攻隊の映画をPRする全面カラー広告が新聞紙上に掲載されていました。
広告のマナー&トーンもかつての軍国青年を賞賛するようなもので、一瞬、時代が逆転したか?の錯覚に陥りました。
そして、官の、青年に期待する像の一端を見ると同時に、思想不在、体制に阿る制作者の心根に思いを致し心が冷えました。
と同時に思い出したのは、私を導いてくださった、かつてのADCの委員長を務められた方が下さった戦中での広告活動に関し纏められた著作です。
そこには戦争体制を煽った宣伝活動についての強い反省が詳細に記されていました。
この貴重な本は、残念ながら手元から無くなっています。

流れに逆らい主義・理想に順じ、潔よく生きるのは並大抵ではありませんが、コミュニケーションを業とする私たちは、体制に阿る危険は知っておきたい、また、体制のパワーに圧されても、せめて「心を売らない」やせ我慢だけは堅持したいものです。
また、いまの「自由」なコミュニケーション環境が先達の、深い反省からもたらされている歴史も知っておくべきことではないでしょうか?
「美しい国」が、意味不明のままもてはやされ、あたかも美意識の標準のようにその浸透が画策されているいま、反骨の精神と、それを維持するやせ我慢の錆落としに努め、それを仕事の座標としたいと思うのです。

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