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第105号『愛にはお金がかかる』

松飾りも取れました。
でも欧州ではまだクリスマスとか!

そこでクリスマスの話題も時期遅れではないと思い話題としました。
クリスマスは、私的には、もはや喧噪と欲望にまみれたクリスマスイベントにはまったく縁遠い世界に生きる身ですが、しかし浮き世の渡世としてこのイベントに無関心ではすまされません。

この行事が、暮らしに登場したのは戦後のアメリカさんによるもので、いつしか私たちの暮らしにすっかり根付いてしまっています。
振り返ると、社用族のジングルベルからはじまり、ケーキを囲むマイファミリーのちいさな幸せのクリスマス、そして高度成長経済の波に乗った一点豪華主義の若者カップルたちによるバブリーなクリスマス、ついでお祭りの後のOLさんたちの自分にご褒美プレゼントクリスマスとこの行事は、クリスマスの心と関係なく時代々の主役たちの欲望を見事に反映させて移り変わってきています。
そして格差社会のクリスマスは・・・?

こうした変化を動かしてきたのは、間違いなくマーケターたち。
彼らはクリスマスばかりでなく、バレンタイン、ハローウィン、ウエディングと欧米の文化風習を上手に換骨奪胎しながら、それらを新しい日本の催事に仕立て、欲望の開発装置にしてきました。
この巧みさには感嘆です。

個人的にいえば、これら欲望を刺激する仕掛けは、すべて商業主義的な臭いが過剰につきまとい好きではありません。
しかし、クリスマスだけは別。
それはキリスト教を媒介にした、このイベントだけが、自己中心的な考えではなく思いやりに代表される「人へのぬくもり」を基調にしているからだと思います。

キリスト教自体、いろいろ考えると功罪相半ばするやっかいな宗教だと思いますが、この起源不明のクリスマス行事は、いまや世界の津々浦々に普及し、人々に思いやりの心を説いてきているのはやはり素敵なことだと思うのです。

感傷的な思いやりで世界から悲惨がなくなったか、貧困がなくなったか、といえば、そんなことはありません。
でも、でもです。

この季節になると、確かオグルビーの仕事だったと思いますが、慈善の呼びかけに使った「愛にはお金がかかる」というキャッチフレーズを思い起こします。
これはもはや伝説的なコピーですが、今でさえ現実を見据えたいいキャッチだと思っています。
また人を動かすものとしては「人には二つの手があります。ひとつは自分を助ける手、そしてもうひとつは他人を助ける手です。」というオードリーの言葉もあります。
かく思うのもクリスマスなればこそ、でしょう。
そんなわけで貧者の一灯を私も送った次第です。
マーケターのひとりとして、またスクルージな私の日頃のあざとい所業への虫のいい罪滅ぼしです。

とにかく世知辛い世間、思いやりの心はクリスマスを2日間で終わらせずにロングランで必要だと言う気持ちがします。

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