週末、書類を整理するためのファイルが欲しくて100円ショップに出かけた。
しばらく見ていない間に随分と品揃えがよくなり、売り場のスペースも広くなっていた。
そこには食器、文房具、食品、化粧品等ありとあらゆるものがあった。
仮に原価を3割として、どう考えても100円で売って採算が取れるのかと思うものが数多く並んでいた。
「不況下での景気回復」、なんだかおまじないの呪文のようにも聞こえてくるが、この特効薬として商品の価格をハチャメチャに安くして大量に売る。
さながら「価格破壊」の展示場のようでもあった。
世界一高い人件費といわれる日本でこれらの商品を生産することは不可能であろう。
だから、そのほとんどは人件費の安い中国やマレーシアなどアジアで生産することになる。
文具メーカーの生産にかかわっていた友人から、電話やホテルなどのインフラが出来ていないような中国の内陸部まで、日本向けの製品ラインの工場が点在していると聞いたことがある。
「価格破壊」はもはや異常な現象などではなく生産ラインを整備し生産する日常になったということである。
異常も日常化すれば正常となる。か
そしてその多くの生産管理をしているのは日系企業である。
なるほど富の還流はしっかりと押さえている。
こうした勝ち組企業に繋がっていれば、とりあえず消費する側にいることは可能だ。
それにしても、消費大国日本、という図式はいつから始まったのか。
1985年、世界経済の中で優位に立った日本に対しアメリカ、ヨーロッパの国々からソニーやトヨタの製品がハンマーで叩き割られるという抗議の声と映像が送られてきた。
戦争に負け、喧嘩や殴り合いにはめっぽう弱くなった日本とその政治家たちは中曽根総理の号令のもと、国民一人当たり1000ドルの外国製品購入という消費目標が提示された。
1000ドル、当時1ドル200円換算で大人から子供まですべての国民が1人当たり20万円使えということである。
そして日本人は世界の中で「消費者」という役割を分担することになった。
農業から工業そしてサービス、金融などの仕事に進化していくことが先進国として当然のすがただとばかり、それまでモノを作りその対価としてモノを買っていた日本人が生産することを止め、消費するだけの者に変わった。
だから闇雲に、海外の不動産や絵画を驚くほどの高値で買いまくった。
そして十数年後には二束三文で買い戻された。
金の使い方を知らない成金。
泡沫の後、働くことの意味も見失った。
働くことの意味を奪われ、他者との関係を奪われた日本人がいまや「消費者」という自己完結のなかにしかいられないとすれば、それは悲しすぎるだろう。
だからもう一度、手触りのいいものに囲まれ、ゆっくりと時間を過ごすこと、他人と比べないこと、不必要なものはいらないと言えること、つまり自由であることを奪還しなければならない。
自由とは自らをよしとすることである。
それは貧しさの問題ではなく知性の問題でもあるからだ。
追伸
取材出張のため来週、再来週と2回にわたりお休みをいただきます。
次回のファンサイト通信は25日です。