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第48号『零度の眼差し』

数ある東京の美術館の中でも一番好きな美術館は、東京八重洲にあるブリヂストン美術館である。
時々時間を作ってはその常設展示された絵画と彫刻を観て楽しんでいた。
この美術館のよさは小ぶりではあるが一つ一つ質の高い印象派の作品が集積されているということである。
とくに、モネの『睡蓮』はお気に入りの作品である。
しばらくその絵の前に佇んでいるとなんともいえない浮遊感に襲われる。

数年前訪れたニューヨーク近代美術館で観たモネの巨大な『睡蓮』の絵の前でしばらく身動きが出来ないくらいの陶酔感を味わったことがある。

まるで自分が水面すれすれのところに浮かび、その周りを睡蓮に囲まれていると感じた。
それは、ブリヂストン美術館でモネの『睡蓮』を観た時に感じた浮遊感と同じ類のものであった。

『睡蓮』の絵そのものに近づいてみても、そこに睡蓮の花や葉など具体的になに一つ描かれているわけではない。
ただ茫洋としたタッチと色の痕跡があるだけだ。
しかもなんの力みもない、まるで水墨画のようにも思えるそのタッチから、なぜこれほどまでの臨場感が生まれてくるのかいまだに分からない。

そして、そこにはなにか別の次元へ移行しようとするエネルギーのようなものも感ずる。

内容と形式の逆転。
前提と結果の転倒。
具象から抽象へ。

なにかしら新しいものを生む時、それまでの概念を打ち破りすべてがフラットになる瞬間があるのではなかいと予想している。
いいかえるなら、相対的ではない座標の原点、すなわち零度の位置。
ここに立つことができたクリエーターだけが作り出すことのできる境地のようなものを。

モネは自宅に池を造り、そこに睡蓮を栽培し春から夏にかけて戸外でそれを描き、秋から冬にかけてアトリエで完成させたという。
『睡蓮』は絵画的なすべての意味での呪縛から解き放たれ、作家が見たい世界を見たままに描くことができた幸福な作品なのだろう。

静かで力みもないのに凛としている。
週末、また水面に浮遊する『睡蓮』に包まれに行こうと思う。

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