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第430号『いまを生きる』

【それでも人は飲み且つ食らう】
【それでも人は飲み且つ食らう】

先日、数年ぶりに人間ドックで検査を受けた。
そもそも、人間ドックで検査したって、無駄じゃないかと思っていた。

トラウマのようにこびりついたことがある。
弟が43歳の時、人間ドックで検査した。
その時、結果はまったく問題無し。
しかし、その2ヶ月後、悪性腫瘍で発病し緊急手術を受けた。
検査したって、発病時期がずれて、その時、発見されないとしたら・・・。
だから、長いこと人間ドックでの検査を受けなかった。
加え、日々の不摂生。
この検査で、何かしら不具合が出てくるのではないかと、内心ビクビクしていた。

而して、送られてきた検査報告書には、気になる点も2,3記載されていたが、取り敢えず大きな問題もなく、まずまずの結果だった。

なぜ、人間ドックに行こうと思ったのか。
少し大袈裟に言えば、自分以外の誰かのために。
例えば、家族や仲間のために、ちゃんと検査しようと思ったからだ。
そのきっかけは、3.11の大震災。
絶望的な状況の中でも、懸命に生き抜いている人たちの立ち振る舞いを見たからだ。

これまで、なんとなく今日の続きとして明日もある、自動更新されるように生があると思っていた。
でも、そんなことはない。
いや、むしろ世界を見渡せば、無事に生涯を送ることができない人々のほうが圧倒的に多い。
それが、生の現実だ。

死は不意にやってくる。
病んでいようが、病んでいまいが、人の死はその生のなかに織り込み済みである。
だから、いま生きていることがどんなに素晴らしいことかをあらためて知った。
でも、それよりもっと大切なことがあることを、この大震災は教えてくれた。

自分以外の誰かのために、与えられた生と仕事を全うし、汗を流している人たちがいるということを。
自分以外の誰かのために、自分を大切にする。
それは、少しも変なことではない。
これまで、まるで教義のように、自己責任で自分だけがよければいいという思い上がりが、為す総ての醜さだったのだ。

自分に言い聞かせるためにも、繰り返す。
人の生が、いかに哀しみにあふれているかを知り、その哀しみを受け止めることは至難である。
だからこそ、心身を鍛錬し、自分以外の、誰かのために懸命にいまを生きよう。

【皆さんのご意見お聞かせください。】
3.11から3ヶ月。
メディアも人々も震災の話題を取り上げることが少なくなったように思います。
もういいよ、飽きたよ、と言わんばかりに。
でも、むしろこれからの事態こそが大変で、大切なのではないでしょうか。
どうしたら、人々の関心を惹起することができるのか。
弊害もあるかもしれませんが、もっともっと被災地の情報を送り続ける仕組みが必要ではないでしょうか。
特に、首都圏や,関西以西では、現状を知ることからしか、打つ手が見出せません。
どんな方法が考えられるのか、皆さんのご意見をお聞かせください。

2件のフィードバック

  1. 新潟の震災の際に、赤ちゃんのいるママ達が心身からくるストレスで母乳が出ないとの記事が朝日新聞に掲載されており、『母乳DE茶』を送ろうと思いました。救援物資の行政では完全に断られ新潟県助産師会からは、サンプルを送って戴き会議で検討すると言われ、はたまた断られ・・・
    今回は日本誕生学会の大葉ナナコの元、現地の助産師さんとの直接のメールやりとりがSNSで成され、近々に送る予定でいます。このように職種での繋がり連絡網の様な個が参加出来るルートが各方面で確立することで、メディアの偏った情報に惑わされることなく個人の立場立ち位置が明確な者同士が密に連絡出来たらいいな~と思います。

  2. 3月11日以降の多方面に渡る皆さんの活動に敬意を表するのみで、何もできない自分自身に、鬱々とした気持ちでいました。
    そんな時、ご縁があって5月25日(水)~28日(土)まで被災地入りしてきました。公益財団法人結核予防会の医療支援にボランティア同行してのものです。
    岩手県山田町大沢小学校、山田町ふれあいセンター、大船渡病院、気仙沼市気仙沼小学校・中学校、紫神社避難所では、医師の派遣、看護師、臨床心理士の健康相談を行っていました。
    また、岩手県宮古市、大槌町吉里吉里中学校、釜石市、大船渡市、陸前高田市・高田病院、気仙沼市階上中学校避難所、岩井崎・御伊勢浜など駆け足でしたが写真家と同行して記録と地元の方々のお話を伺いました。

    たくさんの報道を見ていましたが、実際に足を運ぶと、その被害の甚大さ、被害に遭われた方々の実情、そして街中に漂う臭いに愕然とした、というのが正直な気持ちです。

    お話を伺った中で、一番こころに刺さったのが、「忘れられてしまうことが本当に怖い」という言葉です。仮設で出会った60歳の女性の言葉です。
    「一時は、嫌になるくらい報道されたのに、今は福島のことばかりで忘れられてきている。たくさんの人に、知らせて欲しい。」というものでした。

    もちろん、フクシマの問題は大変なことで、これからの生活、健康に甚大な被害をもたらすものです。

    私が知り得た訪問した範囲での情報ですが、医療支援、避難所は、5月末でクローズされるとのこと。仮設への入居が決まっていない方も大勢います。

    ほとんどの地域で、道路は復旧されていましたが、不明者の方々の捜索、瓦礫の撤去作業は、今も続いています。

    海岸沿いにあった自宅の跡地に、避難所から毎日通い、まだ見つからない奥さんを待っている漁師の方にも会いました。
    高台から、津波に呑まれて流されていく多くの人達を何も出来ずに見送った。みんな手を振って流されていった。助けてとも、さよならとも取れた。
    こうして、みんなと話をしていると気晴らしになるけれど、車にひとりになると涙がでる。
    早くかあちゃんがあがってくれれば…。

    避難所では、家族、親戚を含めて25人が亡くなったり、まだ行方が分からないという65歳の女性もいました。
    こうして話を聞いてくれて、遠くから来てくれてうれしいと。

    被災に遭われた方々は、問題はそれぞれ異なるのに、一律に線引きされた行政支援、民間支援の実情。限られた数の仮設入居など。現地では、大きな声にならない不公平感が溜まってきているようです。
    すべての方が満足するような支援活動は、とてもできるものではないでしょう。
    でも、風化して忘れ去られたものにならないように、被災地の方々と共にあるという気持ちで日々を送れたらと思います。
    これからも、継続した支援活動が待たれていると強く感じます。
    風化させないために、情報をお知らせするために、写真展の企画を検討しています。
    また、阪神淡路の支援も経験したドクターからは、次の支援時の参考となるように記録がとても必要であるのお話を聞きました。
    いま、吉村昭著「三陸海岸大津波」が震災後ベストセラーになっていることからも、経験談を含めた本の出版も必要であるように思います。

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