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第32号『公共としての身体』

その黒々とした集団を目撃したのは取材で空路を利用するために訪れた羽田空港のロビーであった。
早朝、出発カウンターに向かう途中のことである。
全員が床に体育すわり(尻を床におろし両膝をくの字に折りその膝を両手で抱えこませるというもので、身体強要の典型とされている)をさせられ、そのあと矢庭に立上がり列を作っての行進でぞろぞろと移動していった。
どこかの高校の修学旅行の一団である。
その間生徒たちはざわめくでもなく、ただ先生たちの甲高い声がやたらと響きわたっていた。
「強制収容所的だな、いやな風景を見てしまった。」
それが素直な感想であった。

ロスアンゼルスまでの航空運賃が2,3万で行ける時代である。
子供の修学旅行の費用がやたらと高く現実離れしているとその時は感じたがズルズルと「ま、皆がやっているし自分の子供だけ遣らせないというのもな・・・だから仕方がないか」と、いわれるままかなり高額な支払いをした記憶が残っている。

異業種からの参入のなかで学校制度がもっとも参入障壁が高く旧態依然としていることは旧知の事実であるが、それにしても修学旅行という制度とそこで見た一連の生徒の行動があまりに見事に制度化され、後退するどころか強固に、しかも脈々とその流れが生きていることにあらためて驚きを感じた。

修学旅行の初めとされる「行軍旅行」が東京師範学校で行われたのが1886年(明治19年)である。
それは兵隊にふさわしい軍隊式生活管理と身体機能の訓練の一環として行われた。
この身体機能訓練の大きなテーマの1つが整列行進である。

映画『白日夢』の監督で歌舞伎演出家でもにあった武智鉄二は「演劇伝統論」のなかでなぜ日本人が整列して行進することを強要されるに至ったかを述べている。
少し長くなるが引用する。

『明治に入ってからの、近代軍隊の設立という問題は、非常に重大な変化を日本文化にもたらした。「富国強兵」のスローガンは、単なる対句ではなくして、富国のための強兵策という、はっきりとした論理的な意味合いがあったのである。明治十年の西南の役における農民兵の熊本篭城戦における決定的敗北は、その後の日本民族の運命を決定したといってもよいだろう。それまでの農民たちの動作の基本となっていたのは「ナンバ」の動きであり、この動きからは、戦闘に必要な機敏な動作が生まれてくるはずはなかった。』

「ナンバ」とは右足と同時に右手が出、左足と同時に左手がでる歩き方である。子供のころ運動会の行進でかならず2,3人はいた。
それを笑い飛ばしていたが、実はこの歩き方こそが日本人固有の歩き方だったのである。(鍬や鋤で田畑を耕す農民の動作は右手右足あるいは左手左足が同時にでる動作である。また相撲や剣道のすり足も同じである)

もともと日本人はいまのような手を前後に振って歩くという習慣がなかった。
走ることも一般にはしなかった。
飛脚のような特殊な職業人も走る時は手を左右に振って足を後ろに大きく蹴り上げナンバの姿勢でいる図が広重の浮世絵でも確認できる。
つまり、明治のある時期から意図的に兵士として機能させるために歩き方を変容させられたのである。
日本人はナンバを失い、集団で整列行進をリズムにあわせて歩くという国家にとって都合のよい近代的な身体を身に付けさせられたのである。

まず、身体能力の高さや見栄えのする体型がメディアによって流布され肉体は番付される。
そしてわれわれ愚民がその似姿(カッコイイからだ)を追いかける。

景気対策の影に隠れてはいるが有事法制関連三法案が静かに、でも公然と、しかも確実に進行している。
ぼくたちはこれからどこに向かって行進させられて行くのだろうか。

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