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第31号『翻案文化その1』

同郷の後輩、奈良美智氏の「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」展を観た。

会場となった弘前市の吉井酒造煉瓦倉庫はかつてニッカの林檎酒「シードル」の工場であった。現在は貸しスペースとして使われている。
その会場に入った。
高さ1.5メートルほどの茶室のにじり口を思わせる低い入り口から会場に入る。

そこには漆黒の空間があった。
タールで塗られた壁面に展示された巨大な絵皿と立体像がスポットライトに照らされ浮かびあがる。
奈良の作品は独特な睨んでいるいるような目や眠っているような目をしたかわいいけどちょっとコワイ女の子を描いている。
その女の子がさまざまなオブジェとして作品に展開されている。

従来の美術館の白い壁面に作品が飾られる整然としたサンプル展示のような趣とは違うなにかを感じた。

一言でいえば「空間と作品の感動的な出会い」があった、ということかもしれない。

売れない。観ない。育たない。作家も評論家も面子が変わらない。
近年、現代アートの衰退は目を覆いたくなるほどの惨状である。
こうした状況の中で、わずか人口17万7千人の地方都市での展覧会でなんと会期途中で4万人もの入場者を記録したという。(内2割が県外からの入場者)なぜ、これほどの入場者を集めることに成功したのだろうか?

奈良が地元出身の著名?な現代アートの作家だということで地元の新聞やTVにとりあげられたことも理由の1つであろう。
勿論、奈良のマーケティング戦略の巧みさも当然あるだろう。
奈良のファンサイトでの呼びかけに呼応してボランティアも数多く集まったともいう。
だがそれだけで弘前市の全人口の4人か5人に一人が観に来るといういうのも考えにくい。

この展覧会ではボランティアを募り6月から会場作りを始めた。
顔ぶれは高校生、大学生、主婦、弁護士、商店主など職業も年齢もさまざまな人たちが参加したという。
この現象はアートの大衆化なのか民主主義化なのか定かではないがもはや観ることだけでアートを消費していくことに飽き足らなくなっている人たちが少なからずいるということではないか。
もっといえば、観客=消費者は作家いじりや作品いじりをして遊ぶことさえ出来るようになったのではないか。
例えば2001年に開催された横浜トリエンナーレ展では巨大なバッタがパシフィコ横浜の壁面にぶら下げられたり、パンのお面を被った人のパフォーマンスがあったり、展示しているキャンデーが食べられたりと観客と作家と作品との距離と記憶がもはや従来の展示とはあきらに変化している。
また別な例をあげるならば、ビックサイトで行われるアートをテーマにしたフリーマーケットのようなイベント、アートフェステバルの盛況さもすでにアートが変容してきていることを理解するのに難しくない事件である。

9月28日から始まった目黒美術館での日比野克彦展もやはりワークショップやパフォーマンスなどファンと観客が作家と作品をいじれる仕掛けになっているようである。(日比野が東京芸術大学助教授の権威のなかにあってもし存在理由があるとすればサブカルチャーとしてアートを展開したからではなく時代の流れの読み取りの速さにある)

解らないものはすべてサブカルチャーのなかに押し込めてしまう読み取りや、著作権を振りかざすことで情報の排他的な所有による富の独占と収奪という構造でもなく、オリジナルとコピーという二項対立の概念を超えた再創造あるいは翻案とでもいうべき新たなモデルが起こり始めているように思う。

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