朝、流れる雲を見ていたら、ふと弟のことを思い出した。
10年前の9月、3歳年下だった弟が「脳腫瘍」で9時間に及ぶ大手術をした。
手術後、左半身の麻痺、視野狭窄そして言語機能の障害がでた。
手術前、担当医からレントゲン写真を見ながら説明を聞いた。
写し出された弟の脳には「がん細胞」が、まるで銀河系の星雲のように白く広がっていた。
手術をしなければ余命、3ヶ月。
手術をしても1年と言われた。
義妹は、声を出して泣いた。
でも、義妹の泣いた姿を見たのはその1回だけだった。
その後、どんなに辛いことがあっても泣きごとを言わず、弟の看病をしてくれた。
1回目の手術では腫瘍を取りきれず、2回目の手術を勧められた。
しかし本人と十分に話し合い、手術をしないことに決めた。
そして、残された時間を自宅で家族と過ごすことを選んだ。
その時、義妹は僕に言った。
「私がこの人を守っていく」と。
退院後、車イスでの移動がしやすいよう自宅の床を板張りにし、風呂場も少し広くした。
さらに、生活に必要な全てのものを1階に集めた。
義妹と子供たちは弟のベットの回りで食事をし、TVを観て、おしゃべりをして、眠った。
その賑やかなことといったらなかった。
どこに、病人がいるのかと思えるほど、部屋は明るい笑い声で溢れていた。
ある日、弟は僕に筆談で話しかけてきた。
「あんちゃん、家族で食べる食事が一番おいしいんだ、こうして皆と過ごせる時間が一番幸せだよ」と。
「俺、病気になったけど、こんな当たり前のことがうれしいと思えるきっかけを作ってくれた病気に感謝しているよ」「あんちゃん、いろいろ、ありがとう」って、照れくさそうに笑った。
それから3年、どこへ行くのも家族と一緒に過ごした。
2度3度と手術をしなければ、余命1年と言われたのに3年も生きてくれた。
享年46歳。
失うものを見つめ、悔しいと思い、逃げることの出来ない恐怖と向き合ったからこそ、その果てにある豊かさと喜びを見つけることができたのだろう。
しあわせ、ってなんだろう。
いまも時々、あの少し照れくさそうな弟の笑顔を思い出す。