第238号『あしたの私のつくり方』

【木陰】
【木陰】

水墨画のように静かで上質な映画を観た。
市川準監督、「あしたの私のつくり方」。

映画なかで特別な事件など起こらない。
受験、いじめ、親の離婚、恋愛、転校など、どこにでもありそうな事柄について、小学6年から高校1年までの、二人の少女の日常が携帯メールでの往復書簡を通して、淡々と描かれていく。
この二人の少女を、いま、もっとも注目されている新人、成海璃子と前田敦子が演じている。

常識や、周囲の期待から逸脱しないように演じる自分。
それ以外は嘘の私。
少女たちの息苦しさを、事件ではなく何気ない間合いや風景描写によって、見事に表現していた。

市川準監督はこうした、何気ない風景の中で人物を描く名人である。
もともと、CMディレクターとして禁煙パイポやタンスにゴン、NTTカエルコールなどの演出をしていた。
映画初監督は、富田靖子を世に送り出した佳作「BU・SU」、つづいて牧瀬里穂を擁した「つぐみ」、2004年には村上春樹原作の「トニー滝谷」で、第57回ロカルノ国際映画祭審査員特別賞、国際批評家連盟賞、ヤング審査員賞を受賞している。
個人的には「東京兄弟」という作品も好きである。

僕は密かに、小津安二郎や成瀬巳喜男など、日本映画の作法を受け継いでいるのは、市川準ではないかと思っている。

さて、映画「あしたの私のつくり方」の少女たちの息苦しさは、いまや少女だけではなく、大人であれ、子供であれ誰もが感じている。
私が私らしいこと、という呪縛。
この呪縛から逃れるには、私という自我の視点ばかりでなく、水墨画のように自然の中にとけ込んでいる、あるがままの私も私であることに気付くことではないか。

だからなのか、映画の中で繰り返し、挿入される木々や電線やマンションや河原の風景といった何気ない風景描写が気持ちよく感じた。

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