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第188号『予定調和』

【本とパンフレットとCD】
【本とパンフレットとCD】

作家のジム・ヘイネンがあるときレイに、奇妙な体験談を話したことがあった。
彼が銀行から出てきたとき、一羽の白頭鷲が彼の車のボンネットに鮭をどすんと落としていったのだ。
ジムはそれを家に持って帰って食べた。
ジムがレイにこの話をしてほどなく、彼はレイの書いたある詩を目にした。
そこでは鷲は、詩人が散歩しているときにその足もとに鮭を落としていったことになっていた。
詩人はそれを料理して食べた。
後日、ジムはレイに質問した。
ひょっとして君、僕のあの話を使ったのかい、と。
「そうだな、ジム」と彼は言った。

レイモンド・カーヴァーの「愛について語るとき我々の語ること」(村上春樹訳/中央公論新社)でこの一節を読んだ。
まさかと思ったが、鮭がある日、突然、空から降ってくるこの物語は本当にあったことだと知った。

映画「ブロークバック・マウンテン」(監督アン・リー)を観た。
本年度アカデミー賞の3部門、監督賞、脚本賞、オリジナル音楽賞。
ゴールデングローブ賞主要4部門受賞、加えて、05年ヴェネツィア国際映画祭グランプリ<金獅子賞>受賞。
ほぼ主要な賞を独占した映画である。

1960年代のある日、二人のカーボーイがホモセクシュアルな愛に目覚める。
この日以来ワイオミングとテキサスを舞台に、20年間余りにわたる二人の人生がつづられて行く。
緻密なかつ大胆な演出、役者が上手い、そして丁寧な撮影。
カントリー調の、アコーステックな旋律のサウンドトラックもすばらしい。
しかし、観終わった後、なんだか了解しえない分からなさを感じた。

ホモのカーボーイの説話。
なんともいえない違和感のようなものをおぼえた。
どう理解したらいいのだろう。
ホモセクシュアルにたいする偏見と差別意識か。
あるいは、なんとなく勝手に期待していたストーリーとは違った展開だったからか。
模糊とはしているが、了解しえない何かが気になる。
それが何かを知りたいと思った。

この映画の原作者、アニー・ブルーは語る。
「小説は読者である私たちを、自分自身の人間的条件に向きあい、取り組める地点、自分が何者であるかを発見することのできる高い地点へ連れていってくれます。小説は狭い視野しか得られない窮屈で複雑な世界の中で生きている物としての自分自身を見る能力を高めることができるはずです。」

人が望んでいることと、自分はこういう人間だと思い込んでいる自己イメージと、事実として起こっている現実との間には、ゆがみや、ひずみがある。
なにが幸せで、なにが不幸か、そんなに簡単には言えないし、判るはずもない。

風景にしろ、人生にしろ、深く分け入って見れば通念を手ひどく裏切るものである。
だから、鮭が空から自分の足元に降ってくることもあれば、カウボーイ同士が愛に目覚めてもなんら不思議ではない。

あり得たかもしれない無数の人生という物語の中で、人は生まれ、その生まれた時代を生き、そして死ぬ。
賢し顔をしようがしまいが、とまれ、人生はどんどん前へと進む。

さて、気にかかったこととは何か。

了解し得ない事柄を排除していた了見。
あるがままを受け入れられない狭量さ。
いかがわしくもなければ、隠微でもない、危なくもなければ、セクシーでもない。
見栄えばかりを気にして、甘く、とろとろとした予定調和のなかにどっぷりと浸かっている。
つまりは、そうした自分の姿だったのではないか。

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