この夏、甲子園で2年連続優勝という偉業を、南北海道代表、駒大苫小牧高校が成し遂げた。
間違いなく、これは偉業である。
夏の連覇が、いかに困難であるかは歴史が証明している。
戦後、47年48年と唯一連覇した小倉高校の優勝は、すでに57年も前のことである。
「やまびこ打線」で春夏連覇した池田高校は、83年夏、準決勝で敗れた。
また、83年、桑田、清原を擁して全国制覇したPL学園も、翌84年夏には決勝戦で取手二校に敗れている。
ことほど左様に連覇は成し難い大事業なのだ。
一転、翌日、駒大苫小牧高校野球部指導者の部員に対する暴力行為があったとの報道で、晴れやかなこの偉業に汚点がついた。
暴力はいけない。
まして、暴力による支配などあってはならない。
その通りだと思う。
しかし、肉体に痛みを伴う制裁によって分かることは山ほどある。
僕自身、中学、高校時代、県内では少しは強いと言われたバレーボール部にいた。
ポジションはセッター。
練習で、試合で、勝っても負けても、よく殴られた。
トス回しが悪い、相手コートを見ていない、誰にトスを上げるのか考えが足りない等々、監督からお叱りを受け、殴られる理由は山ほどあった。
殴られれば、痛い。
理不尽だと思ったことも数限りなくあった。
しかし、痛いことより、もっと強くなりたいとの思いのほうがはるかに勝っていた。
だから、別段それで指導教官に悪意を持つことも無かったし仕返ししてやろうなど露ほども思わなかった。
なぜ、これほどまでに完璧なチームが出来たか?
この質問に駒大苫小牧高校の香田監督は答えている。
「雪が降っても外で練習しています。整地されていないグラウンドではイレギュラーバウンドがあたりまえです。だから自然に体で止めるという基本が徹底できるのです。しかも白い雪の中で白球を追うため、グラウンド全体の状況を判断するという高度な練習で強いチームを作ることが出来ました。」と。
これまで、ともすれば戸外での練習不足が、東北や北海道など、雪国のチームのハンデキャップとされてきた。
ところが、この雪が強さを生み出す要因になった。
5試合でわずか失策2。この堅守がそれを物語る。
(この方法で、これまで高校野球では関東以西のほうが強い、西高東低と言われてきたがこの常識も変わるかもしれない。)
雪の中での練習。
想像するに、凍てつく寒さの中での守備、思うに任せないが故に選手も指導する側も、いらだち、焦り、それを乗り越えるために、声を出し、励まし合い、時に肉体に加えられる指導的制裁もあったと思う。
でも、おそらく、誰一人、そのことを恨みに思うことはなかったであろう。
理不尽とは道理に合わない分別のことである。
しかし、道理に合うことばかりやっていたのでは、高く、分厚い壁を突破することは出来ない。
雪のグラウンドで本番さながらに練習するという、この常識破りな発想が夏連覇の偉業に繋がったのだ。
だから、駒大苫小牧高校の選手諸君にとって、優勝という輝かしい事実は勿論、この練習に耐えたことで、将来どんなことがあっても挫けない自分の後ろ盾を獲得することができたと確信する。
たしかに、暴力は理不尽であると思うことが多い。
しかし、世の中は、もっと大きな理不尽に覆われている。
僕がいま、少しばかりまともに仕事ができ、社会の一員として、なんとか体を成しているとすれば、それはおそらく、なんだか訳の分からない理不尽さを乗り越える何かを、あの夏、うだるような暑さの中、コートの上に落とした、たくさんの汗と涙と、監督の拳骨から教わったに他ならないからだ。