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第152号『躾け』

雨が降ってきた、駅まで歩くには少し億劫に感じた。
バス停でしばらく佇む。
なにげなく足下を見ると、空き缶や吸殻が目につく。

近所にある高校の生徒の仕業か?
しょうがないなと、ひとりごちる。

しばらくすると、傘とビニール袋を手にした中年の女性がバス停に散らかる空き缶や、投げ捨てらた吸殻をやおら拾い集め、ビニール袋いっぱいに詰め、バス停に備え付けられたゴミ箱に投げいれた。

この間、数十秒。
スムーズでリズミカルな、まるで舞うような身のこなしである。
女性は何事もなかったようにニコリと微笑み、列の後ろに並んだ。

僕のなかに爽やかな気分と、気まずい想いが同時に押し寄せた。

ひとりでゴミを拾い集めたところで、すべてきれいになるわけでないし、たかがしれている。

原因は概ね、みんな知っている。
抜本的な解決を望むなら、家庭教育や、学校の先生による徹底した指導、それでもたりなければ法的な規制の強化も必要かもしれない。

こうした現状にあって、多くの場合、臆面もなく善行をなす人は、端から見れば愚かしく見えるし、時にその行為は偽善とも映る。

しかし、おおよその原因を知って、なにもしないとすれば、知ることにどれほどの意味があるだろう。

座して語るより、ゴミを拾った方が停留所はきれいになる。
肝心なことは、知っていることではなく、何をするかである。

ゴミを拾う。
挨拶をする。
席を譲る。
やれることはいくらでもある。
しかも、いますぐにだ。

でも、なぜできないのか。
躾けがないからである。

「躾け」とは、美しいしぐさを身に纏う習慣のことである。

布に折り目をつけることが必要なら、毎日折り目をつければいい。
さすれば、いつの日か折り目はつく。
つまり、折り目正しいとは、毎日折った結果できるのであって偶然にできるのではない。

かつて、父から聞いた教えである。

さて、ぼくも明日から朝の散歩にはビニール袋を片手に出かけることにしよう。

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