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第141号『自己破壊』

『晩年のスタイルに関する考察』(エドワード・サイード著、大橋洋一訳、「新潮」05年1月号掲載)を読んだ。

芸術家の作品を通して晩年の意味を考察したもので、特にベートーベンについての記述が秀逸だった。
晩年のベートーベンは、たとえば「月光」や「熱情」などのピアノソナタ、あるいは第5や第6などのシンフォニー、さらにバイオリン協奏曲など、それまで彼が築き上げた調和溢れる音楽的な達成を否定し、弦楽四重奏曲や荘厳ミサ曲を創りだした。
それらの作品に対する評価は個々に意見が分かれるとしても、ベートーベンは晩年に、それまでの自分を越え、違う世界を提示しようとしたことは明らかである。

晩年、自分の音楽の連続性を断ち、「自己破壊」を起こしたことにより、彼の時代の旧弊に囚われることない創作活動が、後にシェーンベルクなど現代音楽を萌芽させえたと指摘している。

数年前、日本の最長老映画監督、新藤兼人氏にお話を伺う機会があった。
映画を撮り続けるエネルギーはどこから生まれるのか?
この問いに「過去にとらわれず、常に新たな気持ちで進むこと、つまり自己破壊することだ。」と。
ゆっくりと、しかしきっぱりとした答が返ってきた。
柔和な老人の表情からは想像するに難しい「自己破壊」ということばの強さに驚いた。
さらに続けて、「老いとは、枯れ、すべてにおいて諦観することではない。」「むしろ、沸々と煮えたぎるような野心と欲望を内に秘めているんだ。」とも。

恩師で、画家のM氏のアトリエを最後に訪ねたのは、彼が亡くなる数ヶ月前のことだった。
制作中のキャンバスを前にし、ウイスキーを旨そうに舐めながら話してくれた。
「完成の一歩手前でも、駄目だと思った作品は破り捨てるんだ。」
「経験を積み、年を重ねようが自己破壊できなければ新たな作品はできない。」と。

牽強付会ではない。
創造と破壊は表裏にして、一体なのだ。

「老い」の意味を変容しなければならない時が来ている。
つまり「老い」とは「自己破壊」するエネルギーのことだ。
だから「年を取る」ということは、これまで積み上げてきたものを一度「自己破壊」し、次に繋げるために再構築することである。

アトリエからの帰り際、M氏が僕に話してくれた。
「カワムラくん、捨てるに忍びないものを捨てなさい。」
「そうすれば、もっとすごいものを一から創り出すエネルギーが湧いてくるから。」

彼は僕に何を繋げようとしたのか。
その答えはこれから、僕自身の「自己破壊」で証明する。

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来週4月8日金曜日、オフ会のお知らせです。
■■祝 ファンサイト創立3周年記念オフ会■■

桜の木の下で酒を飲み交わす季節です。
昨年の4月9日、突然、唐突に宵の口からはじめた花見オフ会が殊の外、好評でした。
(ソフィアアカペラ合唱隊の歌声も聴けて最高でした。)
「今年はどうなるんだヽ(`Д´)ノ」と、皆様からのお問合わせが殺到!?しております。

大丈夫、ご安心ください。(^^!
勿論、今年も開催します。

来週4月8日金曜日、4時ころから桜の木の下でとりあえず飲んでます。
場所はJR四谷駅下車、上智大学横にある中央線と平行している土手の桜並木の周辺にいます。
場所がわからない方は川村の携帯まで連絡ください。
070-5558-7399 ファンサイト 川村です。
久しぶりの方も、いままでメールでの遣り取りだけの方もお待ちしています。

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