これまでしばしば、戦後の日本社会は「フェア」ではなく「イコール」な社会だと指摘されてきた。
フェアな競争原理を排し、あたかも敗者も弱者もいない理想社会の実現をめざし、保護といたわりによる標準化された社会の現実。
つまり「機会の平等」ではなく「結果の平等」こそが求められてきたのである。
その象徴が、いわゆる「護送船団方式」による保護政策である。
しかし、そこには新しい試みや、これまでとは違う発想を受け入れる余地はない。
堅実に確実に生きてることが一番。
寄らば大樹の陰である。
だから「チャレンジ」や「クリエイティブ」ということばは、浮いた青臭いものでしかなかった。
ヤマト運輸の元社長、小倉昌男氏が宅急便をスタートさせたのが1976年2月。
それまで家庭から小荷物を送るには、最寄の郵便局に行き、郵便小包で送る以外の方法がなかった。
初年度の実績は、郵便小包の1億7880万個に対し、わずか170万個。
しかも、当時の運輸省や郵政省からの様々な規制と妨害との闘いの連続であったという。
誰もがこの試みは失敗に終わるだろうと予想した。
しかし、予想に反し、1980年代には同業30数社が宅配便市場に参入し、ビジネスとして大きな市場を確立した。
この宅配便最大手ヤマト運輸は28日、日本郵便公社を宅配便市場で公正な競争を妨げている、いわゆる独占禁止法違反で東京地裁に提訴した。
ことの発端はローソンとの提携強化を進めていた公社が8月18日、ローソンの国内全店でこれまでの「宅急便」に併存させるかたちで「ゆうパック」のサービスを11月中旬から開始すると発表した。
これに対しヤマトは公社が不当な利益を示して郵便小包「ゆうパック」の取次ぎ店になるよう勧誘したと反発し、ローソンと公社が結んだ契約の撤回と公社が民間宅配業者の料金より安い設定で「ゆうパック」のサービスを提供しないように求めた。
提訴に至った理由について、ヤマトは「税制の軽減、道路交通法上の規制除外、手紙やはがきの独占」など、さまざまな面で優遇処置を受けている公社は、民間が切り開いた宅急便の市場に不公正競争を仕掛けていると批判している。
ヤマトに肩入れしたいと思う。
すべてお膳立てが済んだ後、ノコノコとやってきて美味しいところをかっさらう。
貧相かつ狡猾な公社の遣り方にはどうにも組し得ない。
もはや、単にサービスの仕組みを提供する時代ではなく、そのサービスのいわば性格とか人格が問われる時代でもある。
「成功」という結果は、他人から平等に与えられるものではない。
価値の転換や創造を生み出すことで多くの賛同を得て「成功」を勝ち取る。
みずからの努力と知恵によってつかみ取るからこそ、価値が見出される。
そして、この価値の質を正当に評価することが、いまこの国に最も必要なのではないか。