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第110号『表現の発見』

how silent! The cicada’s voice soaks into the roks.
Basho
 

  電車の中刷り広告で見たコピー?だ。

岩山の一角に寺院がある風景を俯瞰した写真。
その写真の上に白い英文文字が書かれている。
そしてその下にBashoの文字。
Basho?

すこし離れた場所に立っていたのでボディコピーの細かい文字が読めない。
しばらく眺めていた。

なんとなく口の中でもごもごと言葉にしてみた。
「なんて静かなんだ! セミの声が岩にしみ込む。」?

バショウ?
・・・芭蕉 か?

確かめたくなり、その中刷り広告の細かい文字が読める位置まで場所を移動した。

「閑さや 岩にしみ入 蝉の声」と、英文の脇にボディコピーがある。
日本の代表的な俳句の1つ、その程度の認識しかなった芭蕉の句である。

how silent! The cicada’s voice soaks into the roks.
もう一度、呪文のように口の中でもごもごと唱えてみた。

「なんて静かなんだ! セミの声が岩にしみ込む。」
英語で詠んでみると即物的に「閑さ」な風景が見えた。

「閑さ」という見えないものを、煩いセミの声で見える風景にしている。

この時、「パチン!」と音がして僕のなかで何かが動き、そしてほんの少し何かが解った。

人間は「見る」、「聴く」、「嗅ぐ」、「触れる」、「味わう」五感の知覚の中で「見る」という視覚にもっとも頼っているという。

逆に、見えないものは人間にとって、とても扱いにくい。
熱さ、寒さ、風、苦悩、喜び、愛などなど。

だから例えば、体温は体温計で数値が見えるようにし、風鈴は風を音という存在に変え、涼しさまで表現する。

「見ること」が人間のもっとも得意な知覚の方法だとすれば、「見えないものを見えるものにすること」は人間にとってもっとも素晴らしい表現の方法ではないか。

モネは「心の内にある光」を色の渦で、ベートーベンは「苦悩や不安」を音の響きで見えるようにした。
そして、芭蕉は「閑さ」を蝉の声で見せてくれた。

これまで幾度か「パチン!」と音がして、自分のなかで何かが解ったと思える瞬間を経験してきた。
それは、埋もれていた創造のカタチが「表」に「現」れた瞬間に出会う喜びでもある。

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