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第104号『自己責任』

NISSAN CAP神奈川トライアスロン大会は毎年、追浜にある日産の工場敷地内を使い行われる。
スイム1.5Km、バイク40Km、ラン10Kmの計51.5Kmのオリンピック競技(前回のシドニーオリンピックから正式種目)と同じ距離を泳ぎ、漕ぎ、走る。

1999年6月27日、例年になく風の強い、雨まじりの日であった。

そして、バイクコースの10Km地点で突然、レースが中止された。

43歳のアスリート、Yさんがスイムで亡くなったからだ。

スイムコースは同じ敷地内に隣接した追浜の海を泳ぐ。
普段は、完成車を船積みする大型タンカーが着岸するエリアにある。

したがってスイムのスタート地点は岸壁から板状のはしごを架け、海面まで2~3m降りて行く。
スタート地点から岸壁に沿って250m泳ぎ、次に沖合いに向い250m泳ぐ、そして、またスタート地点の岸壁を目指して250m泳ぐ。
1周750mの三角形コースを2周する。

その場でフローティング(立ち泳ぎ)しながらスタートの合図を待つ。
風と横殴りの雨のためゴーグルがくもる。
波が高くうねり、恐怖を感じた。

ここで引き返すこともできる。
でも、ここまできたのだからやるしかないと腹を括る。

泳ぎだして直ぐ、このレースはかなり厳しいものになると思った。
必死に泳ぐがなかなか進まない。
なにしろ、波が海上から押し寄せ、岸壁にぶつかり洗濯機のように回転し渦巻いている。
つまり、右からも左からも波を受け、まともに息継ぎができない。

やっとのおもいでスイムを終え、岸壁をよじ登る。
まるで船酔いの時のように足がふらついた。

亡くなったYさんも、一緒に、この海で泳いでいた。

たまたま、僕は運良く生きている。
少し、体調が悪く、左右からの波で息継ぎのタイミングが合わずパニックになっていたら、その死は彼ではなく僕だったかもしれない。

Yさんの死をどう受け止めればいいのかと思った。

「趣味で死ぬなんて馬鹿げたことだ。」
「家族が可哀想だ。」
こんな周囲の声が聞こえてくる。

「自己責任」の意味を解読してみた。

人様にご迷惑をかけず、余計なことをせず、大人しく自分にできる範囲のことをしなさい、ということか。
僕たちはこの「人様にご迷惑をかけない」というフレーズにめっぽう弱い。
それは、ある種、絶対真理のような響きを伴って聞こえる。
そして、Yさんの行動はやはり良識のないものであったのだろうか。

しかし、僕は彼の行動を肯定したい。
少なくともYさんは、スタートのその瞬間まで恐怖と戦い、「現場で考え、自分の頭で判断し」泳ぎだしたはずである。
たとえ、それが愚かな行為だとしても、なじることからは何も生まれない。

人は迷惑をかけたことを詫び、謙虚さを取り戻し、迷惑を許し、寛容さを学ぶ。

いま僕たちに欠落しているのは、自分たちの眼前に現れる厄介で困難な事柄に立ち尽くし、直視することを避け、結局なんの行動もできずにいることではなだろうか。

「自己責任」の意味を再度、解読してみた。

それは「自分で考えない日本人」から「自分で考える日本人」になることではないかと思った。

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