1983年36歳で急逝した写真家牛腸茂雄と同僚として同じ職場で席を並べていたことがある。
彼の作品は、少しローアングルからなんの変哲もないごく日常の人々と風景を淡々と切り取り写し出しているものが多い。 後に写真評論家の飯沢耕太郎氏によって再評価され、昨年 佐藤真監督によるドキュメンタリ−映画『SELF AND OTHERS』も上映されている。(なにしろ牛腸氏が亡くなったあとの映像だ から彼の生きてきた軌跡をたどるような構成です) べつに有名になった友を引き合いに自慢話の1つでもしようというつもりはない。
牛腸氏の代表作である『SELF AND OTHERS』の東京新宿ミノルタフォトスペースでの発表展示会の準備と、次に上梓することになった『見慣れた街の中で』の撮影に精力的に取り組んでいた亡くなる4,5年前のことである。
時々、仕事帰り二人でお茶を飲みながら話した。
ユーモアがあり、饒舌だけどいやみがなかった。
そしてやわらかい笑顔がいまでも脳裏に残っている。
あのころ盛んに自分の作品集を残したいと話していたのを覚えている。
そして突然の退職。
気楽なサラリーマン稼業、(今じゃ考えられないが結構あのころま では植木等は正しかった(^^?)を捨ててまでなぜ・・・
何故かとの問いにはついに答えてくれなかった。
いま振り返れば当たり前のことであるが、彼は残された時間と実現したいことを見据え、自らの作品集を作ることに集約する道を選んだのだ。
幼いころに患ったカリエスとその後、病がもたらした体調との戦い、それも終わりが近いことを感じていたのかもしれない。
逃げずに立ち向かうことを決めた勇気。
彼にとってそれは、終わりがあることを認めるまでの恐怖との 戦いの連続だったということでもある。
僕はなんだかひとり取り残された気分になったのを覚えている。
でもそれは自分が何者で何がしたいのかわからず立ち尽くし、 立ち向かう勇気のないままとりあえず居心地のいいところにいることでごまかしていた自分が惨めに思えただけのことである。
渋谷ユーロスペースでそのドキュメンタリ−『SELF AND OTHERS』 を観た。 最後の場面で聞く彼の久しぶりの声(佐藤監督が取材の途中偶然生 前録音したテープを見つけたそうです)
その声を聞きながら自分を信じていなかったあのころの自分にすまないと思った。
そして、20年ぶりに再会した友に、いまなら逃げずに立ち向かう自分がいる。と報告できる。
追伸
冷や汗かきかき区切りとなる10号を発行することができました。(^^! 当初は半ば勢いで、途中からはせめて10号まではと思い続けて書きました。 企画書以外の文章など書いたことも無い身ですが、まだ少しは語りたいことが残っているようです。
これからもポツポツ書いてみますのでお読みいただければ幸いです。