第16回 はじめて日記

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確か以前、人が一生の間で仕事や友人、恋愛関係といったある関わりをもつ人というのは約3000人?とかいうのを なにかで読んだことがあります。  

 今はネットの登場により、会ったことはなくても話をできる時代なのでその数を含めると物凄い数になるはずですが。  そう考えると、ある人同士が出会うことというのは実は普通でありながら、実はスゴイ確率のもとに出会っているということになります。

 また人との出会いもしかりですが、普段の生活の中で「初めて」体験することは、これもまたすごい確率なのではないか、と感じました。

「そういえばここ最近、初めての体験や出会いって何があったろうか・・・」

 今まで仕事で関わっていなかった方と仕事の話ができ、その中で、知らなかった彼の新たなキャラを発見し、共感を感じたこと。  

友人の奥様と、私と友人の関係や、それぞれのキャラについて客観的に話せたこと。  

その夫婦に教わったヨガのポーズで、電車の中で立つことが全くといっていいほど苦痛でなくなったこと、そして、明らかにそのポーズで自分の体が少し変わってきていること(おそらく自分にだけ分かる 笑)。

リウマチの患者さんの中にはボタンを付けることもままならない方がいて、ボタンのない服を着ている方が多いこと。  

「連鎖」という英語が「chain reaction」という言葉だったこと。

 自分が実は思っていたより冷たい(!)と分かったこと。(これは反省です)

    などなど。

これだけ情報が蔓延し、たくさんの人がいる世界の中で本当にいろんなことが初めてで、その人に会うこと、 それを知ること、気付くことはとてもスゴイ確率なのだということ。

良しにつけ悪しにつけ、それは何かしらの意味があるはずですから、初めてのことは何かしら私に影響を与えているのです。 そんなふうに考えてみて、私はある一つのことをこれからやっていこうと決めました。

それは一日のオワリに、「はじめて日記」 をつけることです。思い起こすことといったほうが正しいかもしれません。 何も日記帳に書くわけじゃないけど、一日のオワリにそれを振り返ってみると、それが新鮮で生きる活力になると思うからです。

 もちろん初めてのことがない日だってあるだろうけど、その日初めての情報を受け入れるかどうかは自分の判断だから、それを何かしら意味があるかどうか認識し、咀嚼するのは自分の自由。 いいことばかりじゃなく、自分にとっての気付きに関して自己嫌悪に陥ってもそれはそれで受け入れて。次にどうしたらを考えればイイ。

 自分の好奇心が満たされること、自分にとって足りない部分を言葉として実際感じることができ、そしてそれはまた人間として一つ進化したことなのではないかな。

 まだまだ社会的には未熟者である私にとって、この「初めて」を意識することで、そのラッキーに感謝し自分の人間としての進化を感じ取れたら、それはいいことだと思います。

私はそういう意味で 「はじめて日記」 トライしてみます。何かわくわくします。

 さあ、今日は何が初めて私の周りでおき、誰が登場し、それはどんな作用を起こすだろうか。楽しみです。

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