迫り来る分厚く黒い雲。。それは物凄い速さでもくもくもくもく空を覆いつくし、どんどんどんどんとこちらへやってくる。。
その雲は、「kyomu 虚無」という名の雲。
覆われると、全ての生き物は「虚無」に取り付かれ、生きる希望を失ってしまう。
世界は暗闇に覆われ、花は枯れ、緑は灰色の世界へ埋もれてしまう。
1985年公開の映画、「ネヴァー・エンディング・ストーリー」を見て、まだ本当に若かった(笑)私は、ストーリーはほっとんど覚えていないのに、その「虚無」という概念に、「すごいセンスだなあ~」と感動し、今でもそれだけはしっかりと覚えているのです。
他の映画に出てくるようなヒール、いわゆる悪役とは違い、攻撃をしかけてくるわけでもない。ただ「虚無」に覆われる、というわけです。
それを雲というという非常に曖昧なイメージでしか表現していないのに、なぜそこまで強烈なインパクトがあったのか。
それはともすると自分の心にも沸き起こるかもしれない感覚だ、と感じたからなのだと思います。
ちなみに辞書で「虚無」とひくと、①何物もなく、虚しいこと。②この世に存在するすべてのものに価値や意味を認めないこと ということらしい。
「何事もなく、虚しい」「全てのものに価値や意味を認めない・・・」
そんな「虚無」が今、世の中に確実に存在し、どんどんどんどんその範囲を広げている気がしてなりません。
例えば時代の寵児から一転立て続けに奈落に落ちた2人の男。
聞くと、一人の人は、家賃300万円のバベルの塔に住み、一人ワイングラスを手に会社の財務指標などを眺めるのが日々の終わりだったとか。
そのライフスタイル、個人的にはどうしても「満たされてる」というように映らない。なんだか「孤独」とか「寂しさ」「虚しさ」のほうがしっくりくる。
子供を殺し、その事実を隠しながら平然とテレビカメラの前で嘘をつく母親。
既に亡くなっている我が子が、実はいつも汚れた格好をしており、常にお腹を空かしていたことから、幼児虐待の事実もあったとか。
実は自身いじめられていた彼女は、テレビに出ることで以前自分をいじめた人に対して、自分の価値を誇示していたのかもしれない。
それもかな~り「孤独」であり「寂しく」「虚しい」。
私が彼らに共通して感じるのは、虚栄心の強い人々だなあ、ということ。まだ容疑者になる前にTVの前で答える姿に、一種喜びを感じているような匂いがする。
でも、それがどのようなフィルターを通じて見られているかなどと考えたこともなかったじゃないかな。
信頼できる人間関係のもとに、何かを一緒に泣き笑い怒りながら、一生懸命歩く人の目ではなかった気がします。
そんな怒りを通り越して悲しく、そして哀れな人の心は、おそらく「虚無」の黒い雲で覆い尽くされているのではないかと。
でも、そうやって感じることができる私や皆さんも、もしかするとそちら側に行く可能性は無きにしもあらずではないだろうか。
たまたま、実は本当にたまたま「マトモ」で「虚無」に覆われていないだけで、紙一重なのではないのかな。
・・・ここまで書いて、今日は結構読みづらいテーマだなあとか感じています。誰だってこんな文章読みたかないかもしれないし、私も書いててスピード遅いけど。
でもこのブログのタイトルが生意気にも、大上段に「the value of life~人生の価値」であることを振り返ってみたとき、誰の心にも発生する可能性のあるこの「黒い雲 虚無」の存在に関しては書きたくなってしまいました。
今日は珍しく朝からどんより、雨模様のようです。
また必ず訪れるカラリと晴れた日の為に、心の中に湿気のない、さわやかな風を常に通しておきたいなあ。
ちょうど先日部屋の模様替えで床にひいた、ゴザから漂っているようなスガスガしい匂いの風をね。
そんなことを思う金曜日の朝なのでした。皆さん、カラッと行きましょうね 。