第7回 「風の男」

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昨日の夜9時ごろ、携帯に友人のTさんからメールが入りました。

 「今日の10時からテレビで”白洲次郎”の特集やるよ!興味があればぜひ!」と。

 その名前を見たものの、「シラス・ジロウ?? 誰??」 誰だか全くわからず、番組名もさして気にも留めずに10時を10分ほど過ぎ、思い出してテレビをつけると、それは私がついてるとちょっとは必ず見たい数少ない番組 「その時歴史は動いた」でした。

 何気なく見始めた私の目に飛び込んできたモノクロのアップ写真にまず釘付けになった私は、彼の人生の軌跡を聞き始め、まさしく衝撃を受けたのでした。

 ご存知の方も大勢いらっしゃるかと思いますが、念の為彼の人生をご紹介しましょう。。 

 若いころイギリス ケンブリッジに学び、完璧な英語をマスター。第二次大戦直後、当時GHQの占領下にある政府で、交渉役として日本国憲法の成立に携わり、GHQに「従順ならざる唯一の日本人」 と言わしめたいわば「サムライ」。

 後年、日本が敗戦から立ち直った宣言ともいえる「サンフランシスコ講和条約」では、時の吉田茂首相に請われて渡米したが、「あくまでも占領下ではない、日本の独立宣言をむこうの言葉で書くやつがいるか!」 と、GHQに美辞麗句を並べる英語原稿を叱り飛ばし、当時の代表団が手分けして急遽日本語に書き直させ、30メートルにも及ぶ巻物をもって、吉田茂首相が堂々と「日本語で日本の独立を宣言した」というエピソード。

 また、敗戦の中あえぐ日本経済を立て直す為に、腐敗した官僚組織を解体し、「通商産業省」を大ナタをふるって創立をした男。

 この男は驚くべきことに、これだけに留まらず・・・

 通産省設立後、多くの要請があるにも関わらず政治の世界から突然身を引き在野、終生一企業人としてのスタンスを貫いた。 そのあまりのいさぎよさは、彼を「風の男」と言わしめたらしい。

 さらにさらにそれだけでないところがこの人のさらに凄いところ!(「さらに」を3回連発しました。あえて校正は致しません。)

 まさに映画スターばりのルックス。こんないい男の写真は久しぶりに見た、というくらいに男前。しかも鋭い目。 晩年まで、洋服もバリバリにお洒落で、ポルシェを乗り回していたという。

 番組が進むにつれ私は、彼のサムライで、そしてあまりにもダンディーな生き方に、どんどん引き込まれていきました。

 「こんな怪物みたいな男がいるんだ・・」 「スゴイ、凄すぎる・・・・」

  「そして何より・・・ 何でこんなに男前なんだ!!!ありえない!」

 現在の日本の「政治」のクオリティに対し、どうしてもネガティブなイメージを抱いてしまう私にとって、終戦後に彼のような、私が感じるある意味「完璧な男」の理想像を体現している人間が、日本人としての誇りをもって命がけで日本国憲法の成立に携わった事実が、本当に衝撃的でした。

 彼が毛筆のダイナミックな字で書いた遺言は、「葬式無用、戒名不用。」 享年83歳。
 ・・・人の生き方は十人十色。 彼のような生き方に対して、何を考えるかはさておき、私はとにもかくにも、 「風の男」の1000分の1でもいいから、いい男になりたい、と思ったのでありました(笑)。

 「人」であれ「物」であれ「生き方」であれ、前向きになれる、人生を生きる為の目標を発見し、それに対して少しずつ、ほんの少しでも近づこうとするプロセスは無駄にはならないんじゃないかなあ。

 それにしても最近いろんな目標が多すぎる・・・って、ちょっと欲張りすぎかもしれませんね(笑)。

(おわり)

追伸: Tさん、有難うございました。。

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