人生の手引書として時々読み返す本がある。世阿弥の最初の著作『風姿花伝』と最後の著作『花鏡』。
父であり師匠でもある観阿弥からの遺訓をまとめた最初の著作、「秘すれば花なり、秘せずは花なるべからず」で知られる『風姿花伝』。
「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり。何れの花か散らで残るべき。散るゆえによりて咲く頃あれば珍しきなり。能も住する所なきを、まず花と知るべし」「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり」。
訳す。『花、面白い、珍しい。これらは三つの同じ心である。花は散り、また咲く時があるがゆえ珍しいのだ。その時々の世相を心得、その時々の人の好みに従って芸を取り出す。これは季節の花が咲くのを見るがごときである』。
500年以上前の世阿弥の言葉である。人はなぜ花に惹かれるのか? なぜ、桜の下にあれだけの人が集まるのか? それはすぐに散っていく「珍しい」ものだからだと世阿弥は言っている。
その『風姿花伝』から研鑽を積み、能に関しての想いを書き続け、60歳を過ぎてまとめたものが能の芸術論『花鏡』である。
能の戦略本であり芸術論『花鏡』にはこう記されている。
「しかれば、当流に、万能一徳の一句あり、初心忘れるべからず、この句、三箇条の口伝あり、是非の初心忘れるべからず、時々の初心忘れるべからず、老後の初心忘れるべからず」。
人生には、いくつもの初心がある。若い時の初心、人生の時々の初心、そして老後の初心。それらを忘れてはならない。「初心」とは、これまでに経験したことのない事態に対応する方法であり、試練を乗り越える時の戦略や心構えのことである。
「老後の風体に似合ふことを習うは、老後の初心なり」。
老いてこそ、ふさわしい技芸というものがある。初心とは、その時々の年齢と場所に応じた戦略的野心のことだ。それに挑むべきだ、と。能の世界で生き抜くための作法を説いた戦略本『風姿花伝』と『花鏡』で世阿弥は、そう記している。
さて、では自らを振り返り、この加齢という事実と、その限界の中でどうやって難題を乗り越え、初心を獲得することができるか?世阿弥に従えば、老いに向かって生きていく中で、その時々の工夫をし、自分なりの花を咲かせること。老木に咲く花こそ、凛と輝く。その立ち振舞を少しでも体現したい。