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第206回『「ニッポンは強い国、がんばろう」』

「ニッポンは強い国、がんばろう」AC広告のメッセージですよね。
正直、私はこのCM嫌いです。
理由その一  売れっ子?タレントによる安易なCMだから、
理由その二  なぜ「関西弁」なのか?
理由その三 「強いニッポン」に共感がもてないから、です。
とくに第三は、何をもって「強いニッポン」と言えるのか?です。
確かに近くは「阪神・淡路」「オイルショック」遡れば「敗戦」など幾多の苦難をニッポンは乗り越えてきました。
しかし、こうした苦難を乗り越えてきた歴史は、日本だけではなく世界のあらゆる民族に共通することです。
だから老人のぼけ頭にはどうも「強いニッポン」はピンと来ないのです。

▼「強いニッポン」とはなにか?お聞きしたい・・・?

 「強いニッポン」とは経済大国への復権を目指すものでしょうか?国際社会やアジアでリーダーとなることでしょうか?
 さらに気になるのは最近のナショナリズムと郷土愛との混同です。
サッカー、野球などスポーツイベントでは目立って来ていますが、選手達の海外での活躍は日本人の優秀性を声高に叫ぶマスコミなどの姿勢です。政治・経済がグローバルとなり民族のアイデンティ・文化が重要視されてきています。しかし、これはナショナリズムとは大きく異なります。
 穿ってみれば「強いニッポン」は危機に乗じて、かつてのゆがんだナショナリズムの再来を煽る狙いがあるのか?とも疑ってしまいます。
それはともかく、いま「ニッポンは強い」国でしょうか?
実際は急速に弱い国へと落ちて行っています。
例えば一人あたりのGDP。2000年までは世界第三位。しかしわずか10年足らずで23位。人口減少も2006年を境に急速に進展しています。技術も太陽光発電ではドイツ、スペインなどに抜かれ6位、半導体メモリもシェアを大きく奪われており、国際競争力は09年では17位です。
相対貧困率は15,7%、母子家庭などに限るとOECD加盟国中ワースト1と言うのが現実です。
この度の災害はそれをさらに促進させることは間違いないでしょう。「日本ブランド」は危機に瀕しています。
「ニッポンは強い国、がんばろう」と言う言葉の連呼が虚勢としか聞こえないのは私だけでしょうか?
今回の災害を乗り切るには10年はかかるでしょう。原発に至ってはチェルノブイリに例を取れば25年経った今でも未解決のままです。

▼情緒より理性を!

 日本は言霊(コトダマ)の国だと言われます。
言霊とは言葉に宿ると信じられた霊的な力のことで旧くは万葉集にもでてきます。したがって力強いコトバやかっこいいコトバを喜ぶ心性が私たち日本人にはあるのです。
「玉砕」、「断腸の思い」、「不撓不屈」などなど例を挙げれば切りがありません。
コトバが人の心を動かす効果があることは事実ですが、それもほどほどでしょう。
「強いニッポン」は結構ですが、今後10年、25年と人を支えてくれるでしょうか?
これからの日本の脅威は闇雲に情緒に走り、「理性以外の何かに現実を委ねてしまう」ことです。
あのライオン頭の首相を始めとして「市場原理」、「自己責任」と主張した人たちは、どこまで理性的な判断に基づいていたのでしょうか?
私たちもそうですが「カジノ経済」の華やかさに目を奪われ、「自己実現」「規制緩和」「実力主義」などの四字熟語のコトダマに踊らされて現実を無視し金権主義に夢を求めたのはつい昨日のことです。
そして気が付いたらやせ衰えた我が身です。もはや「強いニッポン」は幻想に過ぎません。
「星を見上げる」のもいいですが、希望だけでは長丁場は持ちません。

▼原発推進知事が大勝ちしたのはなぜ?

 今回の災害と同時に統一地方選が行なわれました。関心は災害に移っておりなんとなく選挙は終わり泰山鳴動することもなく選挙は終わったようです。この地方選ですが、原発を抱える北海道、福井、島根、佐賀の4道県の知事が圧勝したことは驚きでした。ドイツでの原発に反対する「緑の党」の躍進振りとは好対照です。
15基の原発のある福井では、「フクシマのような事故を福井では起こさせない」と唱え相手は大差をつけて当選したとのことです(4月23日朝日新聞コラム「記者有論」より)。
「安全性の向上」は何を根拠としているのでしょうか?記者ならずとも大いに疑問です。
「3:11」は原発の安全神話を打ち砕きました。知事は「事故を起こさせない安全を担保できる根拠を示したのでしょうか?」また選挙民は、こうした意志決定についてなにをよりどころに行なったのでしょうか?それは合理的な判断に基づいたものだったのでしょうか?合理的な意志決定は合理的な選択肢を幅広く持てるかどうかにかかっているのは当然でしょう。幅広い論議が尽くされたのでしょうか?
戦後日本は歴史から学ぶことを無視してきました。
東電や原子力保安院、安全委員会など、・当事者意識が乏しいこと、・危機に対して鈍感なこと、・とくにリーダーの顔が見えないことなど、奇しくもこの3:11の10日前にくらいに放映された「戦争への道」のシリーズ(NHK)の当時の日本帝国のエリートリーダーたちの無責任ぶりを彷彿させた感がありました。東電の失敗も早急に要分析です。これは東電だけに限るものではないことは当然です。それには諸外国を含め外部の力を借りる必要がありましょう。
 組織には・聴きたがる情報を評価したり、希望的な観測や楽観的すぎる分析を歓迎する傾向、・失敗するのに深入りする傾向、反対意見を抑えつける傾向、など誤った判断に繋がりかねないダイナミックスがあります。外部からの呵責ない分析と提言はいまこそ必要です。
 
今回の原発を認めた4都道府県では官も企業も市民にとっては、もはや「想定外」は言い訳になりません。またいったんことが起こったらエリアだけでなく日本全国さらにアジアなどの近隣諸国にも及びます。
「お金とリスクを秤に掛けた」選択には、責任を取って欲しい。その覚悟をお願いします。
地域エゴは許されないのですから・・・。都会のために犠牲になっているとの自虐発言も止めて欲しい・・・。
それが民主主義というモノでしょう。

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