▼風評が立つのは避けられないこと
風評被害、今回の原発事故で多くの人の口に上がっている言葉です。
で、いまさら説明するまでもないでしょう。
この風評、野菜や魚介類、肉牛乳の生鮮からさらには機械、人にまで広範囲に被害をもたらしています。
被災地の方、為すすべもなく風評被害に甘んじざるを得ない状況にあることには同情を禁じ得ません。
しかし、この風評に対策はないのでしょうか?
考えてみる必要があると思います。
なぜならまず風評なるもの、今回が初めての現象ではないからです。
いずれにしろ風評が立つのは避けられないことです。
が、同時に風評に対して余りに無策で諦めている節があるのは、どうしてなのでしょうか?不思議です。風評は想定を超える天災では無く、人が起こす人災以外なにものでもありません。
だから、この風評を抑え、最小限に止めること、できるだけ早く収束させること、さらにはそれを出来れば「信頼へと繋ぐ」ことは不可能ではない筈です。
確かにこれは理屈です。現場では「何を理想論」をご託っているのだ?!との反発もあるでしょう。
ま、爺の戯言ですからお許し願います。
▼安全は言えば言うほどに疑念・不安を増大させる
「安全」を言えば言うほど疑念を持つのが人の本性。人の口には戸は建てられないのです。「悪事は千里を走ります」が、善事はあまり走りません。
情報社会では風評の担い手は主に「マスコミ]です。ネット市民も同様でしょう。彼らは「かつてはマッチポンプ」と揶揄されたごとく話題が広がれば広がるほど好ましく考える性情があります。また「人の不幸は鶴の吸い物」というコトバもありますね。
まったく悪意ではなく無自覚だからこそ困るのです。
じゃ、どうすればいいのか?
▼提案です
1:ほとぼりが冷めるまで待つ
人の噂は75日です。これは諺ですが、実際に真理を突いています。じたばたしても仕様が無いと腹をくくりましょう。先が見えないことは判りますが、見えないことにムダな金や知恵を使ってもそれは「盗人に追銭」です。
2:風評の原因を断つ
今回で風評で傷ついた生鮮産物は即廃棄です。この廃棄にはマスコミを呼び込み大いに宣伝しましょう。家畜たちは素早く難民として他地区のご好意にすがり生存させましょう。動物保護団体にもアッピールしましょう。まず禍根を断つ姿勢を示し、その間に骨太の戦略を立てねばなりません。
3:風評対応への戦略を立てる
この戦略は対処発想ではなく、今後のビジネスを見据える立場で練られる必要があると思います。
それは段階を踏まえていきたいものです。
まずは風評への対応組織づくりです。風評への対応には個人の力では困難過ぎます。
被害を被っている地域の団体が地域・業種の枠を超えて取り組むべき課題だと考えます。
そして情報の一元的管理を設計します。
この組織の役割は、むやみな情報漏を抑えることと風評の状況のモニターです。
そしてこのモニターにあわせて、風評は拡大中なのか?、収束に向かっているのか?、誤解は何処にあるのか?、何が問題の本質なのか?などの分析です。
4:風評泣き寝入りは避けたい。
まずは風評をもたらした元凶の特定と賠償・補償請求です。これには有能な弁護士または弁護士グループを採用すべきです。噂は一度立ったら消し去るのは困難です。謝罪広告などがよくありますが、被災の当事者にあってはなんの慰めにもならないことはご存じでしょう。
5:第三者機関と手を結んだ安全エビデンスの収集が必要
次に官に依存しない、エビデンスづくりと基準の設定です。すでに一部の漁連では検討されているようですが、自らの情報では信頼度も薄いのは事実です。この際、地域の大学や研究期間など中立性の高い第三者機関の協力を求めるのがいいのではないでしょうか?
もちろんこうして得る情報はいち早く積極的に公開します。
6:情報の発信拠点を選び彼らと情報を共有し顧客に発信し共感を培うこと。
そして顧客を味方にして伝道者になってもらうことです。(大手流通、市場などこうした意識は培われてきています。)
いわゆるサプライチェーン全体で情報を共有し「安心」を醸成していくことです。
6:セグメンテーションとポジショニング
出来ればセグメンテーションとポジショニングによる顧客ポートフォーリオにもとづく顧客価値の提供です。またこのことは風評をネタにする値下げ要求や故ない理不尽な価格競争から脱皮する施策ともなりましょう。
「買って下さい」、「売って下さい」のおねだり商売は、は足元を見られ、品質価値を損ねかねません。
7:ハングリーマーケティングの実施
最後にハングリーマーケティングの展開です。つまり洛陽の価値を高める王道です。
産地が有利であるためには価値のある品物を実需よりも少なく提供することです。
一見、消費地にはモノ余りで、油断をするとマーケットを奪われる懸念があることは事実です。しかし、農産物に限らずこの「懸念」のために損切りの商品を提供せざるを得ないジレンマにメーカーは悩んでもいます。
が、考えてみれば消費地は生産手段を持っていないのです。兵糧攻めこそ、城を落とす定石です。無責任な風評に対し都会人はいつまで耐えられるでしょうか?
▼「モノ売るのではなく顧客価値を届ける」
以上の考えの根底には「モノ売るのではなく顧客価値を届ける」と言うマーケティングの考えがあります。
また方法論は「ブランドマネジメント」ないしは「レプテーションマネジメント」そのものであることは諸兄には既にお見通しでしょう。
今回の「風評」に産地や生産者いかにもろいか?その根元には100年1日と変わらぬ生産思考があるからではないでしょうか?
また多くの仕組みと補助により「上」からの支援でなんとかなる?と言う幻想により他人任せの甘えの思考もあるようです。お叱りを受けるかもしれませんが・・。
今回に限らず今後とも、陳情やデモは数多く行われることは想像に難くありません。
しかし、これは本質的な対応ではないと思います。また、東電や政府、さらには関連の組織、さらには「東京」をスケープゴートにしたところで不安や怒りのガス抜き以上の効果は期待できないでしょう。それらは無駄とは言いませんが、むなしさをさえ感じます。
かねてから指摘されてきているのは農産物ビジネスでの「マーケティング発想の未熟さ」です。風評との戦いは始まったばかりです。そしてこの戦いは長期戦の様相を呈しています。楽な戦いではありませんが、凌いで行くには、「顧客志向のコミュニケーションの実践」しかないと確信します。。
攻めの姿勢での革新的マーケティングにより、このダメージを福とする姿勢で「旧来ビジネスをリセット」する意欲が是非欲しいものです。