第192回『コンソメのお話』

▼9月の出来事

 9月の始め、さるアクティングゼミナールの学生さん達から昼食のご招待を受けました。このゼミの所在は山梨県の河口湖湖畔にあります。
暑さも頂点に達していて、都会に嫌気をさしていた私はよろこんでご招待に応じました。
しかしその日は台風の影響もあり、思いがけない雨天。避暑の期待ははぐらかされましたが、若者達に会うことは、爺の私には余り多くなく、よい機会でもありました。
 基本的には若者と会うのは億劫です。まずは、若者の発散するエネルギーが鬱陶しいこと、とりわけクリエイティブを目指す人種の無意識の傲慢さと卑屈さ、そして我が儘なこと、などが理由です。
 しかし、一方で私が尊重するのは、彼らが、後からくる世代であり、時代の変革は彼らにしか出来ないということです。
 若者への不満である常套句「いまの若者は、マッタク!」はシュメールの碑文にも書き残されているとか?です。これは別の見方をすれば、時代に置き去りにされた世代の「泣き犬の遠吠え」見たいなものかも知れません。
 私などは、若い世代には恰好の標本でしょうが、先の見えた私は、そんなことに拘泥せず「袖ふれ合うも多生の縁」の気持ちで出かけたのです。

▼コンソメに愕然

 目的の昼食は2時から始まりました。お話では外部から客を招いたのは初めてのことだそうで、その嚆矢が私とは恐縮しました。
 ゼミナールをご指導の先生からは、「ホスピタリティ」と言うことを指導されているようで、舞台とは異質の日常の場でのそれについてどう表したらいいのか?学生たちは腐心し、同時に緊張もしていた様子が手に取るように分りました。
けっこう可愛かったですよ。
 そして食事のスタート。最初の料理がコンソメでした。市販のブイヨンを使ったのか?、と思いましたが、口にして愕然としました。
 ご承知だと思いますが、もともと「コンソメ」とは、仏語で「完成された」Complimeの意味で、中世から見られるようになったもの、フランス料理では大切なレシピ。基本的な作り方は、牛肉・鶏肉・魚などからとった出汁(ブイヨン)に脂肪の少ない肉や野菜を加えて煮立てそこに卵白をくわえてアクを吸着させ、さらにそれを漉した後、浮いた脂分を取り除いて作るという徹底した手間の掛かる調理方法がとられます。
これらの手順は厳密に行われねばならず、見た目は単純ですが非常に手の込んだスープです。コースのはじめに食欲を刺激するのには理想的であると同時に、プロの世界ではこのスープで店の水準が忍ばれるほどものです。
 供されたスープの色は琥珀色の透明。手のかけ方が並ではありませんでした。

▼これは誰が創ったの?と訊ねました。

 一人の屈強な強面の若者が前日より作業に掛かり、自らは緊張の余り吐き気を催すばかりに気を張って作ったそうです。
まさにその甲斐があった逸品でした。
もちろんそれ以外の料理にも料理のサービスも気配りに満ちていたのは言うまでもありません。

▼即戦力という企業の傲慢

 今回、こうしたもてなしは彼らにとっては初めての経験のようですが、このようにして若者は学び既成の社会に向けての自身の価値を高め通用していけるべく、努力していることをしみじみ実感しました。
 未完の世代にとっては彼らの日々が完成へのステップでもあるのです。その彼らのステップアップに対し指導者もまた真剣に取り組んでもいます。
 一方、受け入れる側はどうでしょうか?彼らのキーワードは「即戦力」です。
冗談じゃありません。「即戦力とはなにか?」要は彼らの人材育成の努力を放擲し、すぐ通用する人材を得る魔法の杖を求めているのに過ぎません。
資本の論理や効率論を言えば、「ごもっとも」です。
 しかし、今すぐと言う自己都合で人づくりの投資をムダとする企業にどれほどの明日が約束されているのでしょうか?
 雇用者側も先のない傲慢な企業にすり寄っていくのはそろそろ止めにしたらいいのに!と思います。 
 円高は、日本企業の競争力を弱め、雇用を減退すると経済学者は声高に叫んでいます。「日本はどうなる?」と。正直に言えば、競争力の低下は、円高ではなく、企業の考える力の低下です。

▼マーチショックは当然の企業行動 

 最近、経済界の一部で「マーチショック」なるものが囁かれています。いわゆる大企業ニッサンが人気車種「マーチ」の生産をタイに移したことを言うようです。
まさに、ウォ−ラスティンが主張するように、資本は安い労働を求めて世界を駆け巡るの実践です。企業の本音は、「日本の雇用などどうでもよい、」です。
また企業にとっては国の役割は小さくなってきています。
 こうした「新しい現実」にあって、考えねばならないのは「労働の質」について「効率から効果への転換」です。
 それにはお互いの「可能性を発見すること」、企業は新世代との出会いから「可能性」見つけること、そして、とりわけ雇用される側は自身の価値をしっかり開発し、主張することでしょう。このことは既存の体制からの「受け」を狙うこととは違います。
 「コンソメ」は、若者達の可能性と熱意の象徴です。彼らの方向性は定まっていませんが、その可能性は、後からくる世代に属し、明日を期待させるものでありました。
 
▼「ああ、あってよかった」が不況を打破する?

 いまや過成熟な時代、企業は同質性競争→低価格競争という地獄のスパイラルに嵌っています。この循環からの脱出のカギを握るのは「人材」。そしてホスピタリティへの共感とそれを実現する熱意です。
 そしてこのホスピタリティの実現に向けて創造性を開放していく人材こそが「いい人材」と言えるでしょう。
 しかし、こうした「いい人材」づくりは、企業と若い世代とが人間の「幸せ」を見据えて前者は寛容、後者は創造力を持って「共創」して行くしかないと思います。
 料理家辰巳芳子氏は、「いのちのスープ運動」を行なってきているそうです。
高齢者の人々に「ああ、生きていてよかった」という食事を提供することを願ってのことだそうです。
 製品・サービスも同様ではないか?と思います。
「ああ、この製品・サービスがあってよかった」というためには、「モノ+思い遣り」=ホスピタリティがセットとして届けられねばならないでしょう。それがまた不況回復への王道ではないでしょうか?
それには「即戦力の人材」などいるはずはありません。

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