▼道徳的見世物・・・悪人は殺せ?!
死刑制度に対する意識を探る内閣府の昨年の世論調査で、死刑を容認する人の割合が過去最高の85・6%となった(朝日新聞2月7日朝刊)そうです。
死刑を容認する人の増加の理由は・廃止すれば・被害者やその家族の気持ちが収まらない・凶悪犯は命で償うべきだ・廃止すれば凶悪犯が増えるなどが上位に並んでいるそうです。こうした死刑容認については、賛成、反対はありますが、気になるのは10年間で急速に7%も増加していることです。
▼緊張時代の要請
国際社会では死刑廃止の流れが定着しているといわれていますが、日本の世論は、まったく逆なのはなぜでしょうか?
私はこの記事を読みながらふと思ったのは、首切りや晒し首、市中引き回しなど江戸時代の犯罪者に対する処断です。
また、西洋社会での火炙りの刑やギロチンなどの公開処刑です。いずれにしろ世論や市民感情に応える「見せ物」、庶民や市民は恐い物見たさや憂さ晴らしで処刑は人気のイベントでした。
生活の苦しさ、思い通りにならないもどかしさを悪人のせいにして癒しを得る心理。こうした精神的なカタルシスを求める風潮は、情報社会の実現とそれがもたらしている「緊張」により、いっそうの拍車が掛かってきています。
こうした流れをさらに煽るのが世論を代表すると自負するマスコミです。
▼犯人探しの時代
2010年になってマスコミの話題は、鳩山、小沢さんの政治資金問題、朝青龍の引退などに終始しているように感じます。
極論かもしれませんが、死刑容認の増加も、こうした悪人探しやスケープゴートづくりと同根ではないかと思います。
悪人を抹殺し、諸悪の根源と思われる事象を潰したり弾劾していけば、世の中はよくなり、私たちは幸福になれるのでしょうか?
▼秋の時代の到来
歴史家ホイジンガーは名著「中世の秋」で中世の時代精神を「生活はけばけばしく多彩で、まるで血の匂いとバラの香りを一緒に吸い込むようようだった。人々はさながら子供の頭をもった巨人のように地獄の不安と無邪気ないたずら心、残忍極まる冷酷と涙もろい情けの心の間を行ったりきたりした」(兼岩正夫・里見元一郎訳)と描いています。
これはまさに今の時代を描いているかのようです。言ってみれば「現代は秋」。それは欲求不満や不安がもたらす「緊張」をひたすら解消すべく狂奔する時代でもあります。
▼脱カタルシス
膨大の欲望の胃袋と幼児のような頭の人々の増大した社会。すべてが性急に自分に都合のよい結果を求めています。そして消費はこの欲望のカタルシスを願う流れの真直中にある代表的な行動です。
成熟社会とは、実はモノが飽和化している時代ではなく、欲求不満を解消する方法の飽和であり、不満をそらすサービスやモノが限界に来ている社会ではないでしょうか?
こうした事実は、人々は肌身で知り始めているようです。
20世紀が創り上げた●大量生産←→万人平等な消費システムが、安定性を失って、行き詰まり、あらゆる暮らしで不信が膨れあがらせている現在の時代・状況にあって、マーケティングの役割はなんでしょうか?
それは長期的な視野を持ちにくい時代精神にあっては儚い希望かもしれませんが、「残酷と情け深さとを往来する人々の心」の、情け深さ側へと向かう心を支援する制度や仕組みを開発・発明し、新しい生き方を提案していくこと。
そのためにはまだまだ暮らしに残っている健全な心・・思いやり、気遣い、絆など・・のこまめな改修と評価から始めることのように思います。