「30年間ありがとうございました」お別れのメッセージが表現されたシンプルな白地の表紙に惹かれて早速手に取り、購入しました。
ふーん30年間続いたんだ、というのが率直な驚き。部数は3万部近くを維持してきたそうで、休刊の理由は、経営面よりはマス広告万能の時代が終わりを迎えたから、と言うのが初代編集長であり社主の天野祐吉氏の談。「3年前からいつ幕を引くか」を考えておられたとか。
▼広告を楽しめた時代の終わり
私個人としては、編集に関わっていた方々に過去多少の知己はあった所為で、休刊への感慨もまた一入ですが、一方、この雑誌そのものの役割は?と言うと、正直、高踏的な文人趣味の雑誌の範囲を超えなかったな、との思いが強い。休刊に際して、天野氏が寄せられた辞のように、まさに広告クリエイター、彼らに機会を与えた広告主、そしてこうした集団を取り巻いたいわば広告オタク的な読者が「遊んだ」仲間雑誌、広告クラブ雑誌だった気がします。おそらくこの手の雑誌は欧米には例がないのではないでしょうか?
もちろんそれだから悪い、良いというのではなく、ある意味、典型的な日本固有の雑誌であり、文壇的な文化を体現していたともいっても良いでしょう。
それ故か、ジャーナリズムの大切な側面である「批判」についてはある意味「逃げた」雑誌にも思えます。
とりわけマーケティングサイドに立ってきた私にとっては、この文壇的な性格が、ビジネスとの乖離を増幅させて来て、広告コミュニケーションの発想を本来経済活動にある戦略のフィールドではなく、広告表現の「芸」の狭い範囲に閉じ込めてしまったのでは?と言うことです。
また組織で思考する広告では無縁の個人的なタレント性、作家性に光を当てすぎたのも広告コミュニケーションの進化をゆがめたのでは?との思いがあります。
最近、メディア、特に総合雑誌の休刊が相次いでいます。それは発信者サイドの自己満足的な編集がいまの読者と合わなくなってきたこと、またそうした独りよがりの「お遊び」に付き合うほど、暇やお金を使う気が無くなってきている時代になったことでしょう。広告も同じです。こうしたことを「文化が浅い」と批判する人もいますが、それはお門違い、文化の変化への無自覚だと思います。役に立たないものは消えてゆくのが歴史の習いでしょう。
▼批判とは無縁のジャーナリズム
私にとっては今回久しぶりの「広告批評」の購入でした。センティメンタルな動機が購入理由のひとつですが、もう一つは、この広告界をリードして来た雑誌が、今直面している「マス広告万能の時代が終わり、ピンポイントのコミュニケーションである狭い広告」へと流れる現実にどのように取り組むかについてのメッセージがあるのではないか?さらにはクリエイターと呼ぶ才人たちが、ケイタイやミクシーなど自分だけの情報カプセルに引きこもり、好きな情報だけを吸収し、傷つくのを恐れて、他者とのコミュニケーションを求めない「いいとこ取り」の人々とのコミュニケーションを行わねばならないと言う困難にいかに取り組もうとしているのか?ということへの極めて実利的な関心でした。
しかし、期待は見事裏切られた、と言うのが本音です。
この雑誌に参集したクリエイターは、広告エリートであり売れっ子の「優等生」なのでしょう。またあまりに専門と言う縦割りの「あてがい扶持」に徹したプロ集団といってもよいのかもしれません。
ほとんどは議論を避け、問題意識を明確にした論争を好まない「世渡り上手」。まさに良き広告パラダイス時代に生まれた世代のクリエイター達だったのです。
それだけに企業や生活者が直面している現実への感度が鈍く、また企業側の価値意識を是とする思考性向が強いようなのです。
ここに広告界の先行きに限界を感じるのです。
▼反骨こそ「広告」のエンジン
ジャーナリズムとしての「広告批評」は、資本や企業活動である広告の光の部分にフォーカスするあまりに闇の部分を意識してこなかったこともこうしたクリエイターを生んできたのかもしれません。
資本の矛盾や消費社会の行方などの文脈と切り離して、広告を作品として位置づけ、個人のタレント性に限定した「広告表現芸」に押し込めたのは「広告批評」の負の側面です。もちろんこのことが経営的に力となり30年の歴史を培ってきたことは否定できませんが・・・。
▼Goodbye、広告批評!
かつて私がお世話になった広告会社の創業者瀬木博尚氏は、宮武外骨という明治から昭和期を反逆的に生きたジャーナリストに資金援助をしたそうです。それが東大の「明治文庫」の創設です。
広告とジャーナリズムとはコインの裏表の関係でもあります。そしてそこに身を置くことが往時の広告人の誇りと矜持でもあったのです。こうした先人の思いは、いまどこに行ったのでしょうか?
体制の「提灯持ち」に徹し、内省のない広告作家に明治の批判精神の爪の垢でも欲しい。そうすれば広告はもっともっと面白くなるのでは・・・!
マスコミや企業が「人目線」を唱うこととは裏腹に、欺瞞や作為が目につく昨今、広告人としての反骨が問われているような気がしてなりません。
そんなわけでGoodbye、広告批評!