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第142回『08年OLYMPIC雑感』

 大会旗は次のロンドンに手渡されて、204ヶ国が参加した北京五輪は、終わりました。何かと話題に事欠かなかった世界の祭典でしたが、皆さまにはそれなりの想いがおありだったと思います。

私的にこの五輪の印象を総括したいと思います。

①まず世界は非ヨーロッパの方に軸足を置き始めたこと。
そのリーダーシップは、もはや日本ではなく中国が取り始めつつあること。
とりわけ気になるのは、大会式、閉会式で見せたイーチャンモウを初めとした大会デザインチームの発想力の豊かさと先端技術への受け入れへの柔軟性。
CGだろうが、口パクだろうが、会場はもとより、メディアを通じて世界の人々を魅了した事は間違いのない事実でしょう。
 大体、リアルが存在しない時代に、フェイクやバーチャルを忌避すること自体がアナクロではないか?と思います。

「ほんもの」に拘り過ぎは害悪ですよ。

②一方、日本側は相も変わらず過去の成功体験や固定観念からの離陸ができていないこと。それどころかマスコミや一部訳知り顔の文化人はオリンピック偽装論など「偏見」とも言える発言で、相変わらずの「アジアにおける日本盟主」の幻想とも夢想ともいえる誉迷い事を鼓吹していたこと。
マスコミ、有名文化人はじめ、さらには政治家ももっとクールに時代の文脈を読むべきで、深い読みすると、この機会に乗じて嘘つき中国や無意味な中国脅威論を浸透させたいのでは?とも受け取れました。

③美という点で、大国先進国よりも、アフリカ、中東などの人々の美しさが際だって目立ったこと。
とりわけ入場式での民族衣裳をアレンジした彼らのファッションは圧巻で、西洋文明に対峙するクリエイターの情熱が目映いくらい発散されて長い入場式を魅了したこと。
同時にいずれの人々も備えた人種固有の肌色、体型などの美も実感しました。
 
以上の国々の中には、初めての金メダルなどメダル獲得に結びついた国もありますが、いずれの国もそれぞれ政治・経済・社会の不安や問題を抱えての参加であるように推測され、そうした国の人々にスポーツで示す平等性、オープン性という夢が、例えひとときの幻想であれ参加者を通じて共有することができるのは、五輪ならでは貴重な体験だと思いました。
各国のクリエイターたちの心意気もそこにあるようです。

 日本のデザインについては、あの有名な女性デザイナーによるモノだそうですが、ハッキリ言って自由や楽しさがなく、競合プレゼンで勝った作品のように四方に気配ったせこい印象でした。正直、いま流行の浴衣の方がいいので・・・!
しみじみ日本はほんとうのクリエイテビティを受け容れない社会であることを再認識。

日本では、国威発揚とは人ベースではなく国体の発揚なんだね、やっぱり。靖国は生きているヨー。

④個人の時代であり管理では時代を動かすことができないことを実感。
信じられないくらいの力を見せたジャマイカのボルトだけではなくワンジル、トゥメニクなど男女のマラソン、北島の水泳、上野のソフトボールなど個人の想いが、現場の状況に対する柔軟性を産みだし、勝敗をリードしたこと。

 他人への牽制や管理側の思惑は、やるべきことをやりたい、やるのみという、そうした個人の想いの前では吹っ飛び、それが年齢や技術のカベを超えて多くの感動をもたらしたこと。この対極が星野ジャパンの敗退では?

 監督もそうですが、選手も個人主義がなさ過ぎるのでは・・・?現状分析を軽んじ精神主義のもとの平目のようなチームでは勝てないことの証明でしょう。

奇しくもNHKスペシャルでは・精神主義と無反省の悲劇「レイテ島」秘話をオンエアしていました。

 また、東西関わらず女性のマイペース振りが光ったというのが今回五輪の印象で、まさに「そこのけそこのけ女子が通る」(朝日新聞川柳欄)。これも自分のためのスポーツという非管理のよさを証明していた気がします。

いい意味でオリンピックの成熟、大人のオリンピックが21世紀には幕開けたのかもしれません。
とにかくも国家発揚がオリンピックの目的なんて、もはやそんな時代は終わった・・・ですね。

だいたいオリンピックだけでは「食えない」こともハッキリ

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