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第136回『「ラストフレンズ」への視角』

フジテレビのドラマがはじまりました。
今回で4回目ですが、視聴率は13%とこの時間帯を考えれば好調のようで尻上がりに視聴者を獲得しつつあるようです。
 
年甲斐もなくこの番組を見ることになったのは、登場する旬な女優さんの魅力もさることながら、新聞掲出の広告のビジュアルに惹かれたことも大きな理由です。
 
広告の詳細については説明を省きますが、このドラマは、いまの若者達の「愛の病理」を見事にえぐった、まさにドラマのフジテレビの面目躍如といった感じです。
開始したばかりですのでどの様な展開になるか、予測はつきませんが、しかし、愛が幸福にはつながらない、そのことへの悩みが基本的な筋立てであることは、宇多田ヒカルのテーマソングからも、運命を表す赤い糸が登場者達とオーバーラップして不気味に伸びていく映像、また幸せを約束するシンボルが次から次へと壊れていく象徴的なタイトルからも想像できます。
 
彼らの不幸はどこからくるのでしょうか?
一つは彼らがいずれも「優しいこと」です。
愛する人を傷つけたくない、護りたいという思いが強いほど深く傷つけてしまうジレンマ。
もうひとつは「愛」の姿をイメージできない、または「愛」を知らないことです。
したがって本来なら楽しい筈の二人の出会いや関係が重苦しく、「あなたの奴隷ではないの」と叫ぶほどに息が出来ないほどに束縛に満ちていくのです。

こうした「優しい関係」と「愛への無知」、それは世代を超えていまの社会の病理そのものでもありましょう。
原因は、いまが「子棄て」の時代であり、また「自己責任」の時代でもあることに求められるように思います。
  
功罪への論議は置くとして「子棄て」は女性の自立とウーマンリブが契機です。
経済力を持つことを求められた女性達の選択は「女性性」の放棄であり、女性の社会化にとって子どもは邪魔な存在となったといえます。
 
また「自己責任」は、社会側からの知識・伝統・倫理など生きるための基礎教育の放棄ともいえます。
こうしたことは1980年代から大きな社会的な流れになったといわれていますが、まさにこのドラマに登場する若者はこの時代の申し子なのです。
 
親から棄てられ、社会から放任されて、価値基準や居場所をも失った彼らは、一見見た目にはおしゃれなシェアハウスで寄り添って生きていますが、ほんとうはホームレスと変わりはありません。
 
彼らにとっては恋人も、二人で居ることも、暮らしを営むことも幸福にはつながらず、ここでは極論すれば20世紀が提示して「豊かさ」づくりのエンジンとなってきたモノ幻想が音を立てて崩壊していっています。
 
こうした現実は社会の危機であり、したがってこの「危機」にこれからのマーケティングは立ち向かわざるを得ないと思います。
それはある意味、20世紀型の幻想づくりとの決別を意味します。

思うに恐らくNextマーケティングへのキーワードはWeb2.0で語られるテクノロジーではなく一種の哲学。
例えば、多様性・共感・寛容・美しさ・物語などでしょう。

多寡がドラマかもしれませんが、私的な思いを述べた次第です。

*「ラストフレンズ」フジテレビ毎週木曜日pm10:00より放映。
主題歌「Prisoner Of Love」

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