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第123回『個人鎖国のすすめ』

一億中流幻想は、とっくに吹き飛んだし、勝ち組や新富裕層がマジョリティではないし、また彼らの繁栄がいつまで続くのか、も定かではありません。
どだい永遠の成長などありえません。

歴史的に見ても、腹一杯食べられ、旨いマズイと言えるのも戦後のわずか60年。
この時間は、いわば特殊で、日本人は、皆、いつも貧困に喘いでいたのが実際です。
いま、江戸ブームとか言っても江戸には飢饉や餓死はあったし、人身売買は、公然でした。
そしていま、また「貧困の復活」です。
そして貧困は労働市場からの構造的な「貧困」と社会生活による精神面の「貧困」とが表裏一体となっています。
例えば開発途上国やODA支援対象国を訪れると、生活は貧しいのですが、心は豊かな人々に数多く出逢います。
そして彼らは皆、教育を始めとし「未来」に一生懸命です。

私は「文化はサブカルチュアから生まれる」と言う幻想もあって、貧困や格差に苦しむ人々の話に関心を抱くよう努めています。
サブカルチュアが生み出したモノ、茶、懐石、能、俳句、歌舞伎などいずれも貧を基底にしていますし、「日本」を形成していることは言うまでもありません。
だから気になるのは、歴史的には中世から続く民間芸能、職人など「道を往く」人々の暮らしや足跡、最近ではニートで代表される人々の発言です。
彼らはいずれも「何も持たない」から自身を頼りに生きていく貧乏な人々であり、人と人の縁や繋がりを大切にしなければ生きることが出来なかった人々です。
そして彼らは特殊な人々ではなく、まさにいまの「私」達でもあります。

ある女性が言っていましたが、21世紀になって「初めて貧困に置かれ、自身と向き合う時代を迎えた」のであり、貧しい私たちは、ちょっとの間、仮眠していたに過ぎないのかもしれません。
いまやお金を得るには心を踏み絵にする時代、自分を裏切らないような、他人を傷つけないような職がない時代、お金がなければ「生きていてはいけない時代」の到来です。
理不尽ですよね。
それならこんな理不尽な社会に合わせるのでなく「お金がなくても生きる」ことを考えましょう。
貧乏を堂々と受け止め、最低の生命維持を社会に要求し、しっかり人間を「生きる」ことを模索する生活を積極的に追いかけましょう。
自殺する時間があったら、リストカットやいじめをする時間があったら、さっさと逃げて、自分にこだわる時間に向けましょう。
そしてしっかり引きこもりましょう。

知っていますか?
日本は平安、江戸、昭和前期と三回の鎖国を経験しました。
その間に精緻に日本が育まれ次期への原動力となりました。
今度は、国レベルではなく、いわば個人レベルの鎖国ですね。
私たち日本人は「いま」と「ここ」しか考えられない人種のようです。
いい意味では明日に縛られないで、現実に柔軟に対応し、いろいろな可能性を探り、お互い許容しあえる文化風土だということでしょう。

等しく貧乏になっていく私たちができること。
それは、明日は明日の風が吹く、どうせたいした世の中ではありません、腹を据えて身の回りに動きに右往左往しないよう、個人鎖国です。
そしてじっくり個々人の多様さをもとにした世過ぎ見過ぎの「貧乏芸」の開発。
それに縋って道往く人として人と人との縁を紡ぎ、お金では買えない世間様とつながる情理の価値で人生を稼ぎたいものです。

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