折込広告文化研究所の鍋島です。
前回に引き続き、我が関心事、地域をデザインしているイノベーターを紹介します。
へぇ~、こんな面白い人が、こんな素晴らしい人が、いるんだ~と軽く受け止めていただければ幸いです。
「地域イノベーター」シリーズその19
今回の地域イノベーターは、東北・宮城県女川町で、震災復興を進めているNPO法人アスヘノキボウの代表理事である小松 洋介(こまつ ようすけ)さんです。
< 小松洋介さん >
小松さんは1982年生まれの仙台市出身で、大学卒業後は、多くの起業家を輩出しているリクルートに入社しました。
入社時は、宮城県沿岸部の松島から気仙沼までを担当し、その後に青森の拠点長、北海道支社の営業リーダーをしていました。
しかし、転機が訪れます。
それは2011年3月11日の東北の大震災です。
< 女川町の3.11震災の写真 >
小松さん、入社時代に営業で回った知り合いが多い地域が、被害を受けている映像を見て、いてもたってもいられず、宮城県に戻ってボランティアを始めました。
やればやるほど、もっともっと深く関わりたいという気持ちになり、週末ボランティアではなく、小松さん、会社を辞めようと決断します。
2011年9月末のことでした。
小松さんの現在の活動拠点である女川町について説明します。
女川町、震災当時の人口は10,014人でしたが、死者574人・行方不明者253人、家屋の全壊2924棟・半壊349棟と人口の8%以上、全家屋の約75%が甚大な被害にあうという厳しい状況でした。
しかし、いち早く民間が結束して、女川町は今や岡山県西粟倉村や島根県の海士町と同様に、公民(官民)連携のモデル地域と言われています。
特に女川町は、震災後の民間の集まりの中で、こんな言葉が飛び交いました。
「復興に約10年、まちづくりの成果が分かるのに、さらに10年かかる。だから、20年後に責任がとれる30代、40代にまちづくりをまかせて、還暦以上は全員顧問になって、若い人たちをサポートする。」
「60代は口を出すな。50代は口を出してもいいけど手は出すな」
「我々(50代60代)は金策を考え、弾除けになるから、自分たちが生きていく未来は君たち(若い世代)が考え、中心になってつくっていけ」。
震災による甚大な被害を受けながらも、女川町の復興が早かったのは、「若者」「よそ者」の活用が上手く進んだからです。
その「よそ者」である小松さんは、どんなことを最初に実現したのでしょうか?
写真にあるトレーラーハウスの宿泊施設をつくるプロジェクトでした。
< トレーラーハウス旅館の写真 >
被災地の人たちが、本当に何に困っているかを調べてみると、特に被害が大きかった地域では、どこも宿泊施設が足りません。
しかし簡単には建てられない。
そこで浮かんだのが、移動可能なトレーラーハウスでした。
その企画を進めた時の小松さんの名刺は、、、
「宮城県沿岸部 地域活性化の黒子 小松洋介 沿岸部の皆さん!主人公はあなたです!」
小松さんは企画を実現する会議の中で、女川町の復興連絡協議会の戦略室スタッフになりました。
2012年1月のことです。
2013年にトレーラーハウス旅館は完成し、その後に増室して、2018年にはトレーラーハウス宿泊村「El faro(エルファロ)」は全63室もあり、年間同一料金で多くの方が宿泊しています。
その後、、、小松さんは、、、
リスボン大震災の津波被害を受けた歴史をもっているスペインのガルシア地方の漁村で、まちを明るく彩っているスペインタイル、それを女川町でもつくろうとする「NPO法人みなとまちセラミカ工房」の支援。
女川町の8割以上を占める豊かな山々の保全と管理する「NPO法人女川ネイチャーガイド協会」の支援。
女川の郷土料理やお洒落なカフェご飯が楽しめる「カフェごはんセボラ」の支援。
これらを推し進めながら、
女川町の復興プロジェクトの三つの言葉、キーワードである
「住み残る」
「住み戻る」
「住み来たる」
を実現すべく「NPO法人アスヘノキボウ」を2013年4月に立ち上げました。
更に2015年3月には、新女川駅前に女川フューチャーセンターも開設しました。
< 女川フューチャーセンターの写真 >
小松さんは言います。
「女川町は日本の地方の縮図だと感じています。自分にとっては女川町の復興は、女川町のために加え、日本の地方のためでもあると思っています。」
「自分のミッションは、町の再生を通じて日本を変えること。女川での経験は、他の地域でも必ず生きる。ここ数年は自分への投資だと思っています。」
更に小松さん、課題として感じていることが3つあると話します。
①都市部から地方への人の流れ
最近、地方が盛り上がっていると世間では言われますが、まだまだ地方への人の流れは小さく、地方に対してネガティブに捉える人や関わることが一大決心のように考える人が多いです。もっと、「地方に行くこと」が当たり前にできる仕組みを作らないと、いつまでもこの状況は変わらないと感じています。
②女川をはじめ、地方の中小企業の状況
女川をはじめ、地方の中小企業で、素晴らしいビジョンをもち、一生懸命頑張っているところはたくさんあります。しかし、「人材」が足りません。
特に、事業の状況を数字に落とせたり、社長に新らたな可能性をみせる意見を言えるような、社長を支える人材がなかなか見つからないと言います。そのため、事業を推進するのは社長と限られたメンバーで「今」という一点の対応に追われてしまい、将来の事業拡大や新規事業展開のアイデアはあるが、なかなか動くことができていない状況にあります。
③現役の大学生の状況
被災地や地方には「地域に興味があり、何かしたい!」、「将来起業したい!」という学生がインターンなどを通して来てくれることが増えてきました。しかし、就職となるとその多くは大手企業を目指す選択をする人が多いのです。
「まずは社会を知るために、企業に行きます」という言葉が多いことに気づきました。私自身、大手企業出身で学んだことも多々ありますが、地方の中小企業で事業の1から10まで何でもを関わりながら経営と現場に近い場所で仕事をすることには、成長できる可能性(特に「自分で何かやりたい」学生)が秘めていると感じています。
小松さん、以上の3つの課題解決策を考えていく中で、大事なことは『都市や地方といった垣根を超えて、自分が成長できる働く場所を選択でき、キャリアを築くことができる世の中にする』ことだと思い、新しいプロジェクトを立ち上げました!
学生も、地方も、日本もよくなる」仕組み。
Venture For Japan が始動しました。
将来、日本を背負う次世代である新卒学生の就職活動。
現状、初めて職業を選択するときに、情報は都市部が多く、地方は少ない。そのため地方を就職先として選択することは少ないのが現状。そこで、起業家志望や自分で何かを生み出す側に回りたい新卒学生向けを主に、日本全国の地方のスタートアップ、中小企業へ2年間限定で経営ポスト(社長の右腕や経営幹部)として人材紹介をするプログラムを実施することにしたそうです。
「都市部の大手企業で働く」、「大学院へ進学する」、「起業する」などの選択肢に加え、「地方の中小企業で働く」という選択肢が新たに生まれることにより、キャリアのひとつとして当たり前の価値観になっていくのではないかと考えたそうです。
学生の将来をサポートをし、この活動を通して、学生、地方、日本をより良くしていきたいと小松さんは考えています。
< 小松さんと仲間たち >
次回また、素晴らしい地域イノベーターをご紹介したいと思います。
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「鍋島」のプロフィール
鍋島裕俊(折込広告文化研究所 代表)
*1950年、佐賀県佐賀市に生まれる。
*1980年に朝日新聞社系の折込広告会社に営業で入り、その後、出版、マーケティング、社長室、メディア戦略を経て、無事に卒業(2015年)。
*折込広告全国大会の研修会・分科会や本会議での研修講師や基調講演の講師をプロデュースしている。これは業界への恩返しと考えてのサポート。
*研究テーマは、①折込広告の全般研究、②折込広告史の研究、③地域メディアの研究。
*お節介していることは、全国各地のまちづくり・地域づくりの当事者やそれを紹介するメディアの編集者たちを、勝手に紹介・繋いだりすること。
*2014年に「折込広告文化研究所」を設立。
*折込広告に関する執筆は、「商業界」「食品商業」「宣伝会議」「販促会議」「物価資料」など、過去に多々掲載された。
*印刷会社の“街おこし” 一般社団法人マーチング委員会の渉外部長。
*全日本印刷工業組合連合会(全印工連)CSR認定委員会の委員(前認定委員長)。
*その他、数店のお気に入り店舗(飲食店&本屋さん)の口コミ宣伝部長の名刺がある。
*オリケン・セミナーを定期的に主宰(達人シリーズ、著者シリーズ、今が旬シリーズ)。
*facebookでの発信は、多岐に渡る。