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第960号『いろいろありがとう。そして、さようなら』

古希祝いで、倅たちから贈り物をもらった。
次男からは、自転車に取り付ける室内用のローラー台。
僕と同じく、トライアスロンを趣味に持つ次男らしいプレゼントだが、Zwift(PC上で世界中の場所や人とつながって楽しむことができるアプリ)対応で、その操作に少し手間取っているが、楽しみがまた一つひろがった。
そして、長男からは仕事用の椅子を贈られた。

20年ぶりに新しい椅子に座ることになる。
起業して間もないころ、これから椅子に座っている時間が一番長いだろうと思い、少し奮ぱつしてgiroflexの椅子を購入した。
20年間よく働いてくれた椅子である。
企画書をまとめるのも、本を執筆するのも、ファンサイト通信を書くのも、この椅子に座って作業した。
しかし、20年の歳月で汗や汚れ、さらに猫の爪研ぎにうってつけの場所になり、背もたれも座クッション部分もボロボロになっていた。
機能的に問題はなかったが、そろそろ変え時かなと思っていた。
新しい椅子に座れることの嬉しさと同時に、これまでよく働いてくれた椅子への想いも湧いた。

そして、ふと身の回りを見渡してみると、椅子以外にも長く使っているモノたちが存在していることに改めて気がついた。

小学校入学の祝にと、両親からプレゼントされた手回しの鉛筆削り器。
60年以上の付き合いになる。
いまも仕事机に置いてあり、普通に使っている。
たしかにシャープペンシルは、芯が太くならず使いやす。
でも、なにか新たに考えをまとめたいと思ったり、決意をもって企画書をまとめる時などはシャープペンでは事足りない。
削ってピンと尖った数本の鉛筆を傍らに置き、姿勢を正して白紙に向かう。
そんな儀式めいたシーンには、60年以上の歳月をともにしてきた手回しの鉛筆削り器が欠かせない。

それから、仕事机の脇に置かれたシンプルな木製の整理棚も、かれこれ50年以上の付き合いになる。
上京し四畳半の部屋で使うために、東中野商店街の中古家具店で購入したもだ。
その時々に、大切なもの、例えば鍵や薬や財布や携帯や細かいものだけれど紛失すると困るもの、あれこれを置くためにいまも使っている。

そして、40年の付き合いになるのが、クロモリフレームの自転車。
趣味のトライアスロンを始めた時からの付き合いである。
自宅から2駅ほど、金沢文庫の駅前にあるキノシタサイクルで購入したものである。
いまは二代目の息子さんが跡を継いでいるが、鬼籍に入られた先代に組み立ててもらったものである。
タイのパタヤビーチの大会から始まり、天草、沖縄伊是名島、静岡三保の松原、富山、青森鰺ヶ沢とレースの開催されたそれぞれの場所での思いでがある。
そして、日頃のトレーニングでの汗で部分的に錆びてもいるが、いまもちょっとした移動に乗り回している。

これまで数回の引っ越しの度に大量にものを捨ててきたし、部屋の模様替えでもモノを処分してきた。
でも、なぜか生き延びてきたモノたちである。

PCにしろクーラーにしろバッグにしろ、この世に存在するものは壊れる。
もうさんざん使ったし、新しいものに取り替えたほうが電気の節約にもなる。
壊れたら新しいものに替えればいい。
捨てることも簡単だし、文句も異議を唱える人もいない。

確かにそうかもしれないが、僕の身の回りにある(なぜか)生き延びてきたモノたちには、もはや何かしらの意味があるのではないかと思えてしまう。
その意味とは、一言で言えば「豊かさ」ということではないか。
豊かさとは目に見える新しくてキレイなものとか機能性がいいものとかではなく、そこに隠された「物語」のことではないか。
自分とモノとの物語が宿ればどんな高価なもの、真新しいものよりも価値がある。

「これまでの長い時間、いろいろあったけど、こうしていまも一緒にいるんだよね。」
そう言えるモノが存在することの奇跡を喜びたい。

先日、朝8時前にgiroflexの椅子を粗大ごみとして出した。
横浜市が発券する粗大ごみ用シールを貼り、ごみ収集場まで運んだ。
小雨のなか、色あせた赤い椅子のシートが濡れていた。
「20年間いろいろありがとう。そして、さようなら・・・」と、心の中で呟いた。

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