第62号『流行不易』

弟の三回忌で帰省した。
東北新幹線「はやて」で上野駅から八戸まで3時間、そこから、特急「つがる」に乗り換え、弘前へ。人影もまばらな車中は陳腐だけど、そうとしか形容のしようがない石川さゆりの歌のフレーズが頭の中を駆け巡る。

「北へ帰る人の群れは誰も無口で~」

待ち時間をいれると6時間。たしかに以前に比べれば2時間ほど短縮した。でも、ちっとも速くなったという実感のないまま弘前駅に着く。
いや、むしろ乗り換えを考えると以前より不便になったようにも感じた。

久しぶりで降り立つ故郷の街はなんとも侘しく、うらぶれた佇まいであった。

しばらく街を歩いて合点がいった。土曜日の午後7時というのに商店街のシャッターがいたるところで降りている。 同級生だった呉服屋の藤田君の店も、2年後輩の本屋の最上さんの店も・・・
以前はもっと人通りも多く、賑わいのあった街は、さながらシャッターメーカーの展示場のようにも見えた。

翌日、弟の遺族と両親を伴い、城から程近い、33の寺が立ち並ぶ禅林街と呼ばれる寺町の一角にある菩提寺へ向かう。
山門をくぐると参道は昔のままの杉木立が並ぶ。

法要も済み、寺から両側を夏草で覆われた土淵川に架かる黄昏橋を渡り、単線の弘南鉄道の線路を跨ぎ、奈良智美の展覧会場にもなったレンガ倉庫の脇を通って父の贔屓にしている蕎麦屋へ移動する。
この変わらぬ風景が街で一番好きな道程である。

気が付けば、ちらほらと街には祭り小屋が建ち始めている。これから1ヶ月、笛を吹き、鐘を鳴らし、太鼓を叩き、酒を飲み、扇方の骨を組み、灯りを仕込み、和紙を貼り、泥絵の具と蝋で武者絵を描き、送り絵と呼ばれる優麗な美人画を描きあげていく。
8月の祭の初日まで密かな悦楽の日々が祭り小屋のなかで繰り広げられる。
こうして、祭の準備は無口な祭衆を、祭の幕があがるその日に陽気で多弁な別な生き物に変える。

変わっていく街と変わらない風景。

いや、忘れなければいけないものと、忘れてはいけないものがある。

祭り小屋を通り過ぎた時、祭りの大好きだった弟がひょいと幕を開け小屋から出てくるような気がした。
「ヤーヤどー」というねぷたを運行する時にかける掛け声とともに。

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