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第514号『父の死』

【愛用のパナマ帽】
【愛用のパナマ帽】

悲しみは続く。
先週の木曜日朝、妹からの電話。
早朝の電話は、災い事であることが多い。

父が昏睡状態で、地元の基幹病院に緊急入院した。
妹から、いま、担当医から人工呼吸器を付けるかどうかの決断をして欲しいと言われ
たが、どうするかと。
生前から、可能性のない延命処置はしないでくれと父に言われていた。
その旨を医師に伝え、酸素マスクと栄養剤の点滴といった程度で推移を見守りたいと
お願いした。

なにもかも投げ打って、一刻も早く駆けつけたい。
しかし、どうしてもキャンセルできない案件もあり、翌日の朝、青森に向かった。
移動途中、妹から容態が良くないとの連絡が入る。
故郷津軽は遠い、物理的な距離はいかんともし難い。
ようやく病院に到着、父の病室に駆け込む。
父は、目を閉じたままベッドに横たわり、懸命に呼吸を続けている。
医師によれば、心臓が強く、なんとか持ちこたえていると言う。
幸い、生きて父に会えた。

地方出身者が東京で働く場を持つということは、親の死に目に会えないことを覚悟し
て生きることだ。
常々、そう思っていた。
しかし、いざ現実の事態に直面すると、心は千路に乱れて諦観などしていられない。
肉親の死に付き添う以上に大切な仕事などない。
この日から、病室に寝泊まり父の側にいた。
心拍数や、血圧の上がり下がりに一喜一憂し、なんとか1回でも目覚めてくれないかと
願った。
しかし、残念ながら11日11時07分臨終。
91年の見事な大往生であった。

父との思い出を1つ。
将来、アートや映像デザインの仕事に就きたいと思っていた。
なるべく制限なく、やりたいことを自由にやれる校風の学校を選んだ。
2年になると、校長が代わり生徒指導が厳しくなった。
丁度そのころ、学園紛争が大学から高校へと燃え広がっていたことも原因していたの
だろう。
政治的なことにはあまり興味が湧かず、ひたすら絵を描き、映画を観て、友達と寺山
修司や唐十郎の芝居のまねごとをして遊んでいた。
生徒指導の先生から見れば、僕の生活態度は十分に要注意な部類に属していたのだろう。

冬休みも近いある日、学校に少し遅刻して入った。
下駄箱から教室へと向かっていたとき、「待て!」との声と同時に、突然髪の毛をつかまれた。
僕はそのつかまれた手を振りほどこうとしてクルリと回転した。
そして、僕の手がたまたま生徒指導教師の顔面を打った。
側にいた、女性教師が声をあげた。
頭が真っ白になり、その場から立ち去った。

どのくらいの時間だったのだろう。
雪の街を歩き、なじみの映画館に入った。
僕は、どうして良いのがわからず、暗闇の中で不安と怯えを抱えながら映画を見ていた。
どんな映画が上映されていたかまったく記憶がない。
映画が終わり、外に出るとそこに父が立っていた。
後で知ったのだが、僕の友人たちに聞き回り、立ち寄りそうな場所を探し回ったという。
車に乗れと言われ、助手席に座る。

僕からの事情説明を聞き、父が話した。
理由の如何によらず、人を打つことは許さない。
だから、まずはきちんと誠意をもって謝罪しなさいと諭された。
さらに、罰として停学になるのか退学になるのか分からないが、それも受け入れなさい。
そして一言、でも「どんなことがあっても、お前の味方だからな・・・」と、言ってくれた。
その瞬間、怖かったものから解放され、涙が溢れた。

おやじ、愛してくれてありがとう。
僕も、おやじのように、これからも守るものを愛し続けます。

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