高校時代弘前城のすぐ裏手にある叔母の家に下宿していた。 5月のはじめ桜と人が一遍に押し寄せる。 だからその期間はいつも通学路に使う城内公園の道には近づかないようにしていた。 桜も散り人も去り、ようやくいつも通りの通学路を歩けるようになると、道の傍らにあるお城のお堀が散った桜の花びらで埋もれ、まるで水面に桜が満開に咲いているようにみえる。 木に咲いている桜より水面に咲く桜のほうが美しいと感じていた。
人は何を美しいと感じ、何に価値があるかと考えるか。 あたりまえのことだけど本来その感じかたの基準や判断は多様であるはずだ。
ただ同時に基準や判断をもつことは意外と厄介なものでもある。 たえず定規を持って計って歩くような忙しなさを背負い込むことになる。 だから人の作った判断や基準に合わせる。
正直に言うとぼくはそれはそれで案外悪くない判断だといまでも少し思っている。それでもたぶん自己責任のともなう価値基準を持つことはいまや避けて通れないのだろう。であれば欧米流の合理主義に少し日本流の情緒のようなものをアレンジできないだろうか。
企業ファンサイトを推し進めるなかでwebコンテンツの充実はもちろん重要であるが、これだけでは物語は終わらないのである。同時にオフ会というリアルの世界と繋がることではじめて完結する物語であると考えている。 (弊社はwebでのファンづくりばかりではなくオフ会でのイベントも手がけています) ファンサイトで知り合った人たちが桜の木の下に集い語らうそんな日本流の風景も演出してみたいものである。
水面に 散って花咲く 桜かな
昨日、無事法務局から会社登録申請の許可がでました。
ともあれ産声をあげ誕生できました。 みなさんのご協力に感謝します。 小さく生みましたがいっぱい汗をかいて、筋肉質な子に育てたいと思います。
今後ともよろしくお願いします。