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第462号『いにしえに学ぶ』

【補修中の集合住宅】
【補修中の集合住宅】

「ゆく河のながれは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。」

鴨長明の「方丈記」序章である。
2週間ほど前、知人から薦められ再読した。
いや、再読とはいえない。
学生時代、教科書で見たかもしれない。
そのくらいの記憶しかないのだから、初めてといってもいい。
平安期の、隠居を決め込んだ、ひとりの老人の諦観を記した独白かと思っていたが、まったく、そんな話しではなかった。
恥を晒すようだが、そのくらいの思い違いと知識しか持ち得ていなかった。
そして、読み進めるうちに、唖然とした。

1177年 安元の大火
1180年 治承の辻風(竜巻)
1180年 福原への遷都
1181年 養和の飢饉
1185年 元暦の大地震
保元の乱、平治の乱、源平の大動乱など、貴族政治から武家政治へと大転換した時代である。

「方丈記」には、この時代の政治と社会の混乱と、時を同じくして、折り重なるように起きた天変地異。
その、いちいちを現地に行き、つぶさに見て、災害と人びとの様子を簡潔且つ、克明に記録したドキュメントの書だった。

同じように、もう1つ、驚愕の現実を見る眼差しを感じたことがある。
2年前、墨田区にあるリバーサイドホールで開催された書家、井上有一遺墨展である。
第373号『「井上有一遺墨展」を観た』
井上は自らも被災者として、1945年 3月10日、東京大空襲の記憶と記録を書で現した。

かつて災禍や戦禍に遭ったとき、中世の、あるいは戦時下での日本の民は、どんな心持ちで処し、どんな振舞いをしていたのか。
3.11以降、僕たちはどんな眼差しと、言葉を持てばよいのか、多くの人が彷徨しているのではないだろうか。
「方丈記」も「井上有一遺墨展」にも、根源的な佇まいを教えてくれている何かヒントがあるように思えた。

歴史の転換点にあって、その只中にいる人びとの心の有り様が、古今東西、然う然う変わる筈はない。
だからこそ、先達の教えに耳を傾けることも無駄ではないだろう。
古典は、今を生きる僕たちの指針として甦るのだから。

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