津軽で生まれ育った所為もあり、果実といえばリンゴだった。
近頃では、見ることもない「ユキノシタ」という小さなリンゴをよく食べた。
シャキッとした歯ごたえと、甘過ぎない味わいが好きだった。
地元に居る妹に聞けば、カタチも小さく見栄えが良くない、あまり甘くない等の理由で、いまでは栽培している農家もほとんど無いという。
甘さの追求が品種改良を促し、「ユキノシタ」を消したともいえる。
「勝つか、負けるか」。
「食」の世界では、一足先にその市場原理が支配していた。
アメリカでの事例であるが、96年時点で、それまで栽培された野菜や果実の種類の約97%が失われたと、国連食料農業機構の統計に記されている。
青臭いピーマンも、ゴツゴツとしたかぼちゃも、野の香り放つトマトもマクワウリも消えた。
「効率か非効率か、適合か非適合か、善か悪か、白か黒か」。
市場原理とグローバル化が生んだ方程式は、中間を許さず、本来あるはずの多様さを消去してきた。
一方、80年代後半、イタリアで生まれたスローフードの運動は「地方特有の農産物やその種を守る」という考えが広まったものだ。
もともと日本にも同じような考え方がある。
「身土不二」という。
「身土不二」とは身体(身)と環境(土)とは不可分(不二)である、と。
生産効率は悪いが、暮らす土地の季節の物(旬の物)を食することが、身体にも環境にも一番調和するのだという考えだ。
この不況は、暫く続きそうである。
内向きで、縮み思考である。
でも、見方を変えれば、食べ物だけではなく、身の回りにあった全てのモノを点検し、これまで効率が悪いと切り捨てられたモノたちを再生復権するチャンスかもしれない。