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第29号『清潔という名の病』

「唾をつける。」とはもちろん字義どおりの意味でもあるが、転じて、自分のもにする。
あるいは他人に渡さないために前もって関わりをつけておくという意味でもある。

そういえば子供のころ怪我をすると母はその傷口に自分の唾を付けてくれた。
するとなぜか痛みが和らいだ。

重い荷を持つ時、父は両手に唾をつけてからエイヤと掛け声をかけ、引っ張っていた。

映画でのキスシーンには2通りある。
1つはあいさつとしてのキス、もう1つは愛欲としてのキス。

この違いは歴然としている。
簡単に言えば唾の交換があるか、ないかだ。

体内から湧きでる不思議なパワーとして、唾は痛みやモノや相手を引き寄せ、自分のものとして内在化するメタファーであり実態であった。

唾をつけることも、つけられるこも最近めっきり少なくなった。

痛みを和らげ、ものを引き寄せるパワーをもった唾はたんなる体内から出る液状の物質でしかなくなった。

なぜか?
体内からでる唾という「不思議」を科学が結核菌やその他の感染菌による病という実態以上の恐怖によって隔離したからである。
したがってそれ以後、清潔あるいは除菌は極めて今日的なテーマとなった。

ティッシュペーパー・トイレの便座シート・除菌テーブル布巾除菌まな板・除菌靴下などなどそしてついに人間までもが、清潔と除菌という概念を受け入れ、つるりとした体毛のない自らの身体で、そのことを体現しているようである。

アートディレクターでビジネスパートナーでもある佐藤豊彦氏に教えていただいたのだが、「浜崎あゆみのポスターをみると彼女の毛穴はすべてマスキングされ、つるりとしたディテールに加工されている。」と。
彼女がモデルとして登場している化粧品会社のポスターをよくよく見るとなるほどそうだ。
それは清潔さへの過剰な願望の発露と、それを支持する時代の証でもあるのだろう。

しかし、それをよしとしえない気分も頭をもたげる。

どこで見たのか定かではないが、指と指が触れ合うだけでセックスができる絵図や、AIBOを抱いてよしよしと撫でたりしている絵図のなかに、できることなら自分の身は置きたくはない。

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